殺スナカレ、殺サセルナカレ [反戦]
私は拘置所の看守ではないので、直接死刑を執行することがない。
死刑執行のスイッチを押したくはない。
誰かに代わりにやってもらっていることになる。
私は殺したくない。
東京新聞「こちら特報部」(6月19日付)は、瀬戸内寂聴さんへのインタビューだ。
見出しを拾ってみよう。
「敵討ち 誰も救われない
優しければいいんです」
「刑執行でせいせいするのか」
「死刑も殺人
終身刑にして」
「加害者になる
ことあり得る」
死刑の判決と執行が続く現状は「殺人の連鎖」であると憂いて言う。
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「仏教の一番重い戒律に、『殺スナカレ、殺サセルナカレ』という釈迦の教えがあります。私は仏教徒ですから、死刑に反対です」。
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そう、殺したくないし、殺させたくない。
「自分の家族が殺されても考えを貫けるか」
「被害者の肉親の苦しみを思えば、死刑反対などと言えないのではないか」
宗教の論理を借りなくても、他人の仇討ちを大声で言い立てて極刑を喝采する者のおかしさを指摘するのはたやすい。
死刑で心の問題は解決しない。
私は殺したくないし、殺させたくない。
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