こども議会 [映画]
初回は『こども議会』。
まだ焼け跡に暮らす人が多い頃。
雨が降ると学校に来ることができない子供たちがいる。
雨具がない。
靴がない。
なんとか解決しないと。
子供たちが放課後に学級会を開く。
外へ机を持ち出しての、全校少年協議会に発展する。
雨具を配給してもらおう。
配給までは、助け合って傘に入れてあげよう。
傘を持っているのが意地悪な子だったらどうしますか。
背の高さが違う場合はどうしますか。
子供たちの手描きの地図は信濃町。
慶応病院も書き込んである。
がらんんとした町の空が広い。
出演は東京四ツ谷第六小の子供たち。
思ったほどの宣伝臭はなく、子供たちに現実感がある。
懐かしい子供たち。
映画は「1947.5.制作」となっている。
タイトルロールには日本人の名前が並んでいるだけ。
「GHQがつくった日本映画」というシリーズタイトルが付いているが、ことはそう単純ではなさそうだ。
東宝教育映画株式会社。
聞いたことがないので、検索してみる。
あの東宝争議終結後に作られた会社だ。
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戦後史のエポックであるこの争議の検討は本稿の主題ではないが、短編との関わりでは、戦時中の航空教育資料製作所の人材を活かして活動を始めたばかりの教育映画部が、争議終結にあたって切り離され、東宝教育映画株式会社として独立させられた後、4年を経ずして解散に追い込まれるという経緯を記録しておく必要がある。
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東宝の教育映画部が『こども会議』を制作したのが1947年。
二・一ゼネストに禁止命令が出され、日本革命が失敗した年だ。
東宝争議が1948年。
1949年に東宝教育映画株式会社が独立、つまり東宝から切り放される。
映画の公開が1950年。
GHQの占領政策が大きく変わっていった時期の、啓蒙映画である。
→Wikipedia: 二・一ゼネスト 1947年
→Wikipedia: 東宝争議 1948年
→Wikipedia: 朝鮮戦争 1950年 - 1953年
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