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CHRONICLES #50 「ジョー・ヒル」はダメな歌? [ボブ・ディラン『クロニクルズ』]

ディランの記述によって、ジョー・ヒルが殺人犯にされた事件の概略を見てみましょう。
食料雑貨商とその息子が殺されたのですが、息子の方は死ぬ直前に銃を撃ちました。
ジョー・ヒルは銃創があったので、有罪だとされたのです。
その夜は同じ病院で五人の人物が銃による傷の治療を受けています。
ジョー・ヒル以外の四人はみないなくなってしまいました。

現在の日本の基準からすれば、銃によって負傷したということは必然的に犯罪との関わりを示しますが、20世紀初頭のアメリカでは、そうでもないのでしょう。

事件のあった時刻にどこで誰と一緒にいたのか、ジョー・ヒルはけっして語りませんでした。
一般的には、名を明かしてはならない女性と共にいたのだと信じられているそうです。
事件の翌日に、ジョー・ヒルの親友も姿を消しています。

ジョー・ヒルはあらゆる無産労働者から愛されていたけれど、政治家と資本家はずっと長い間ジョー・ヒルを抹殺したいと思っていた。
裁判以前に、彼の有罪は決まっていたのである。

1915年には、アメリカ全土の大都市で大規模なデモが行なわれた。
ウッドロー・ウィルソン大統領も、ユタ州に事件を再審させようとした。
しかし、ユタ州知事は大統領を嘲笑した(thmubed his nose at the president)。

最後にジョー・ヒルはこう言った。
"Scatter my ashes anyplace but Utah."
「私の灰を撒いてくれ、ユタ州以外の国中に(ユタ州にだけは撒くな)。」

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その後しばらくして"Joe Hill"という歌が作られた。
プロテスト・ソングに関していえば、わずかしか聴いたことがなかった。
レッドベリの歌"Burgeois Blues"、ウッディの"Jesus Christ"と"Ludlow Massacre"、ビリー・ホリデーの"Strange Fruit"といったようなものだ。
ここに挙げた曲はどれも"Joe Hill"より優れている。
プロテスト・ソングは説教臭く一面的にならないように作るのが難しい。
そこにあるのにまだ人々が気づいていない、自分自身のある一面を示すように作らなければならないのだ。
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ほらほら、ディランは「ジョー・ヒル」をダメな曲だと言ってるみたいですよ。
その心あまりて言葉足らず。
「ジョー・ヒル」はディランにとって、説教臭くて一面的なのね。

それでは自分だったらどう作るのか、ディランは少し書いていますが、また次回。
ただいまp.54です。


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コメント 3

face

そのへんすごく興味あります。
『ジョーヒル』を自分だったら
こんな風に創るといってる訳ですね。
うんうん。
歌が生まれる瞬間ですね。
by face (2005-01-09 21:59) 

face

この本は訳が出ていないのですね。
原書で手に入れられて
訳されていらっしゃるんですね。
容さんへのオマージュみたいな部分もおありですか?
by face (2005-01-09 22:26) 

幻泉館主人

faceさん、こんにちは♪

そうですね、訳書はまだ出ていないようです。
ディランの言葉自体に興味があって読み始めたので、あまり他のことは考えておりません。
by 幻泉館主人 (2005-01-10 16:16) 

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