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ディランと春一番 [音楽]

70年代の春一番コンサート、風太さんは英語で歌うバンドを認めなかったそうです。
だから憂歌団も最初はダメだったとか。
ディランだけは例外だったと言ってたけれど、ディランの曲を歌うバンドは英語でもOKだったということなのかな。

春一番は日本のウッドストックを目指して始まったそういだけど、心のお手本はボブ・ディランだったんでしょう。
その感じがだんだんわかってきた気がします。

春一番の掲示板に、「純粋に音楽を楽しみに来たんだから政治的な主張はやめてもらいたい」と書いていた人がいたけど、やっぱりそれは見当違い。
ラブソングも、プロテストソングも、歌なんだ。
歌詞なんてどうでもいいと思って作られた歌ばかり聴いていると、そうなっちゃうんだろう。

ウィリアム・ザンジンガーという青年の名前を記憶している人は多い。
金持ちのドラ息子だった。
町の有力者が集まっているパーティで、ウェイトレスをしていた黒人女性を殴り殺した。
そう、ハッティ・キャロルだ。

この曲"The Lonesome Death of Hattie Carroll"を収録したディランのアルバム"The Times They Are A-Changin'"は1964年リリース。
事件が起きたのは1963年。
最新のニュースを歌い込んだものだ。

歌の内容はご存知のように殺人事件そのものよりも、ウィリアム・ザンジンガーに下された判決がわずか6ヵ月の刑期であることを告発している。
実際には刑の執行は猶予されたらしい。
ディランもまだザンジンガーと同世代の青年だった。
こんな不公正が許されていいものか。
ディランの怒りと悲しみは、同時代に向けて歌われたのだ。

この曲は日本でも数多くの人の心を動かした。
こういう内容を、こんなふうに歌っていいんだ。
歌の新しい形が見えたように思った。

ボブ・ディランは「今まで存在しなかった新しいもの」を創造したのだが、それは「フォークソング」の伝統に従うことによって生まれたものだ。
本当は「フォークソング」は「民謡」と書くべきだろう。
つまりディランは「新民謡」のヒーローとして輝いたのである。

60年代の日本の若者の心を動かしたアメリカの「新民謡」は、日本でもフォークブームを引き起こし、歌謡曲の世界を大きく変えることになる。
だが、事件を具体的に歌う、アメリカの「民謡」の手法は漂白されて消えてしまう。
高田渡さんが三億円事件を歌ったり、友部正人さんが連合赤軍事件を歌ったのは、例外的なものとなってしまった。

この国では、差別は常に遥かな国、遠い昔のことのように語られるのだ。
アンネ・フランクやローザ・パークスを学校で教えて、差別は非人道的だと教師は語る。
しかし、自分の娘が在日朝鮮人や被差別部落の青年に恋するのは好まない。
何も変わっていない。


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