カウンターカルチャー [日常雑記]
【追記】No.6
雨がやんで少しだけ晴れ間が見えたので、浜に出てみました。
お天気は悪いのに、カップルや家族連れをたくさんみかけました。
土曜日の午後なんですね。
この後もっとずっと晴れ間が広がったようです。
残念。
【追記】No.5
また読売のあの人なんですが。
古田選手が会って話をしたいと言っているがという記者の質問に、「無礼者!」。
なんと名言の多い人なんだ、す・て・き♪
「野球協約にそんなこと書いていない。会う義務なんてない。」
おお、野球協約。
なんだか知らないけど、読売はこれが大好きなんだよな。
思えば1978年、法政大学卒業後作新学院職員の資格で野球留学していた江川卓選手を、「空白の一日」で獲得しようとした、あの事件。
たとえば天皇の国事行為によって好きな時期に国会を解散してしまう内閣に似ている。
法の精神はまったく理解していないってことね。
【追記】No.4
少し前のことなのですが、[computer]の外来語表記が2種類ありました。
どういうわけか、一般的にいわゆる文系の文章だと「コンピューター」、いわゆる理系の文章だと「コンピュータ」でした。
これを不思議に思っていたところ、急に外来語の最後に音引きを付けない表記が広まってしまいました。
「プリンタ」「コントローラ」といった表記です。
これに従うと、カウンターカルチャーは「カウンタカルチャ」になってしまいます。
気持ち悪いなあ。
でも、「コンピュータ」と書いてある文書中でも「キ」とか「ユーザ」は出てきませんね。
こんないいかげんな話はあるものか、どこか適当な会社が自分のところで勝手に規則を作ったのだろうと思い込んでいました。
それでふと思いついてgoogleで検索してみたところ、根拠がわかりました。
JIS規格なんだそうです。
はは、JIS規格で原稿書いたり校正したりしたことなんかなかったので、全然知りませんでした。
新・闘わないプログラマ No.311 「音引き」
しかし、わかりにくい「原則」です。
3音以上という根拠はどこから来たのでしょう。
実にあやしい。
内閣告示による「外来語の表記」と矛盾しているようです。
あれ?
原則に従うと、やっぱり「カウンタカルチャ」になってしまうわ。
【追記】No.3
せっかくだから、お茶のおまけを引っ張り出してきました。
これは日本むかし話の登場人物たち。
[桃太郎] [浦島太郎] [一寸法師]
[金太郎] [花咲かじいさん] [かぐや姫]
それぞれ人形と、裏がクリーナーになっているマットの携帯ストラップがあります。
私はいわゆるコレクターではないので、全部揃えたなんてのはこれぐらいのものです。
そのうちどこかの子供にでもあげましょう。
そういえば、非楽天広場の相互リンク先で幻泉館を「玉手箱的読み物」と紹介していただいたのですが……さて?
時代錯誤的ということでしょうか。
【追記】No.2
鶴見俊輔さんに『限界芸術論』という本があります。
ずいぶん昔に読んだものだし今手元に本が見当たらないのですが、「芸術」を鮮やかに三種類に分類していたと記憶しています。
「純粋芸術」
「大衆芸術」
「限界芸術」
純粋芸術のいちばんわかりやすい例が、日本におけるクラシック音楽でしょうか。
専門的芸術家と、ある程度の訓練を積んで知識も持った享受者がいます。
大衆芸術はやはり専門的芸術家が供給するのですが、享受者は大衆です。
限界芸術は生活との領域が未可分で、供給側と享受者も区分があいまいです。
記憶違いがあるかもしれません。
鶴見さんの意図は芸術を解放することにあったのだと思います。
私の場合はカウンターカルチャーのイメージを、この限界芸術に重ね合わせていました。
BEGINの比嘉栄昇さんが一五一会を手に持って、音楽とは本来生活に密着した、誰でも簡単に楽しめるものだと語っていた、あの感じです。
別に模倣でかまわないのです。
ポロンと弦を鳴らし、今日の喜びを自分の言葉で歌う。
これが最も身近な、そして具体的な限界芸術、つまりカウンターカルチャーのイメージなんです。
chappiさんは、いつも即興で歌っているようですよ。
【追記】No.1
しかしまあこんなへにょへにょ人間なので、サブカルチャーという言い方ぐらいがちょうどいいのでしょう。
ココロはカウンター。
「The Whole Earth Catalogue」の連中はすぐにインターネットに飛びつきました。
WWWは、彼らがやろうとしていたことと親和性が高いんですね。
だから、アメリカのインターネット(という言い方は変だけど)には、カウンターカルチャーの文化がなだれこみました。
日本の場合は、ブッシュのポチの、さらにその番犬が多いみたいですね。
いささかとほほな状況です。
え~、暑いんで、ついついお茶のPETボトルなど買ってしまいます。
どうせなら安売り店で、どうせならおまけ付きで。
このあたりがおばちゃん体質のワタクシです。
これは「お~い お茶」のおまけで、お茶犬とお茶猫。
ちょっと前のやつですね。
お茶犬がくっついてるのは中華饅、お茶猫がくっついてるのは桜餅です。
結局PCバッグやカメラバッグのファスナーにじゃらじゃら付けたりしてます。
幻泉館日録@楽天では、いつもテーマを「70年代サブカルチャー」に設定しています。
書き込む時の儀式みたいなものですな。
楽天広場でテーマというものがあるのを知って、なんとなく自分で作ったテーマです。
正確には「70年代サブカルチャー URC, ELEC, ベルウッド」というテーマ名で、「URC, ELEC, ベルウッドといったところの音楽。 実際は60年代末からね♪ 映画や演劇もアリでしょ。」といういいかげんな説明を付けてあります。
今となっては直したいのですが、後でいじることができません。
仕様です。
しようがない。
URC云々はともかく、この「サブカルチャー」になんだか違和感を感じるのです。
テーマを書き込んだ時は忘れていましたが、本当は「カウンターカルチャー」とか言いたかったのではないかしら。
毎度おなじみ、「広辞苑」を引いてみます。
> カウンター‐カルチャー【counter-culture】
> →対抗文化。
対抗文化よりカウンターカルチャーという方がわかりやすい気がしますな。
しょうがない、「対抗文化」。
> たいこう‐ぶんか【対抗文化】
> (counterculture) 支配的な文化に対抗するもう一つ
> の文化。1960年代のアメリカで、高度管理社会に抗し
> て現れた。都市コロニー・コミューン・大学解放区を
> 拠点に、反戦運動などを展開。
おお、とっても偏ってる気がしますが、まあ、そうか。
羽仁五郎さんの『都市の論理』を思い出しました。
普通はもっとルーズに使うような気がします。
ついつい「対抗文化」の次の語に目が行ってしまいました。
「太公望」です。
腹水、違う、覆水盆に返らず、「It is no use crying over spilt milk.」ですね。
「あなた、出世したわね、ヨリ戻しましょうよ。」
ここでお水をこぼしてみせた釣り好きが太公望さんですな。
せっかくだから「リーダーズ英和辞典」も引いてみます。
> counter・culture
> n 反[対抗]文化, カウンターカルチャー
> 《体制的価値基準や慣習などに反抗する,
> 特に 若者の文化》.
そうそう、こんな感じ。
「広辞苑」の方は、なんだか新解さんみたいな人の影を感じます。
いや、「広辞苑」の方はもっと頑固な方針を貫いています。
序文は現代かなづかいでも歴史的かなづかいでも矛盾がないように書かれています。
形容動詞なんて品詞は認めていません。
「国語」の辞書として品詞分類がいいかげんなのはダメだとよく指摘されますが、実は「国語」の品詞分類自体がいいかげんなんだから問題にならないということではないでしょうか。
話を戻しますが、60年代末から70年代初頭は、大衆文化全般にカウンターカルチャーの雰囲気を持ったものが多かったということなのです。
今「サブカル」という時には、その部分が抜け落ちてしまうのが悔しいなと思うのであります。
雨がやんで少しだけ晴れ間が見えたので、浜に出てみました。
お天気は悪いのに、カップルや家族連れをたくさんみかけました。
土曜日の午後なんですね。
この後もっとずっと晴れ間が広がったようです。
残念。
【追記】No.5
また読売のあの人なんですが。
古田選手が会って話をしたいと言っているがという記者の質問に、「無礼者!」。
なんと名言の多い人なんだ、す・て・き♪
「野球協約にそんなこと書いていない。会う義務なんてない。」
おお、野球協約。
なんだか知らないけど、読売はこれが大好きなんだよな。
思えば1978年、法政大学卒業後作新学院職員の資格で野球留学していた江川卓選手を、「空白の一日」で獲得しようとした、あの事件。
たとえば天皇の国事行為によって好きな時期に国会を解散してしまう内閣に似ている。
法の精神はまったく理解していないってことね。
【追記】No.4
少し前のことなのですが、[computer]の外来語表記が2種類ありました。
どういうわけか、一般的にいわゆる文系の文章だと「コンピューター」、いわゆる理系の文章だと「コンピュータ」でした。
これを不思議に思っていたところ、急に外来語の最後に音引きを付けない表記が広まってしまいました。
「プリンタ」「コントローラ」といった表記です。
これに従うと、カウンターカルチャーは「カウンタカルチャ」になってしまいます。
気持ち悪いなあ。
でも、「コンピュータ」と書いてある文書中でも「キ」とか「ユーザ」は出てきませんね。
こんないいかげんな話はあるものか、どこか適当な会社が自分のところで勝手に規則を作ったのだろうと思い込んでいました。
それでふと思いついてgoogleで検索してみたところ、根拠がわかりました。
JIS規格なんだそうです。
はは、JIS規格で原稿書いたり校正したりしたことなんかなかったので、全然知りませんでした。
新・闘わないプログラマ No.311 「音引き」
しかし、わかりにくい「原則」です。
3音以上という根拠はどこから来たのでしょう。
実にあやしい。
内閣告示による「外来語の表記」と矛盾しているようです。
あれ?
原則に従うと、やっぱり「カウンタカルチャ」になってしまうわ。
【追記】No.3
せっかくだから、お茶のおまけを引っ張り出してきました。
これは日本むかし話の登場人物たち。
[桃太郎] [浦島太郎] [一寸法師]
[金太郎] [花咲かじいさん] [かぐや姫]
それぞれ人形と、裏がクリーナーになっているマットの携帯ストラップがあります。
私はいわゆるコレクターではないので、全部揃えたなんてのはこれぐらいのものです。
そのうちどこかの子供にでもあげましょう。
そういえば、非楽天広場の相互リンク先で幻泉館を「玉手箱的読み物」と紹介していただいたのですが……さて?
時代錯誤的ということでしょうか。
【追記】No.2
鶴見俊輔さんに『限界芸術論』という本があります。
ずいぶん昔に読んだものだし今手元に本が見当たらないのですが、「芸術」を鮮やかに三種類に分類していたと記憶しています。
「純粋芸術」
「大衆芸術」
「限界芸術」
純粋芸術のいちばんわかりやすい例が、日本におけるクラシック音楽でしょうか。
専門的芸術家と、ある程度の訓練を積んで知識も持った享受者がいます。
大衆芸術はやはり専門的芸術家が供給するのですが、享受者は大衆です。
限界芸術は生活との領域が未可分で、供給側と享受者も区分があいまいです。
記憶違いがあるかもしれません。
鶴見さんの意図は芸術を解放することにあったのだと思います。
私の場合はカウンターカルチャーのイメージを、この限界芸術に重ね合わせていました。
BEGINの比嘉栄昇さんが一五一会を手に持って、音楽とは本来生活に密着した、誰でも簡単に楽しめるものだと語っていた、あの感じです。
別に模倣でかまわないのです。
ポロンと弦を鳴らし、今日の喜びを自分の言葉で歌う。
これが最も身近な、そして具体的な限界芸術、つまりカウンターカルチャーのイメージなんです。
chappiさんは、いつも即興で歌っているようですよ。
【追記】No.1
しかしまあこんなへにょへにょ人間なので、サブカルチャーという言い方ぐらいがちょうどいいのでしょう。
ココロはカウンター。
「The Whole Earth Catalogue」の連中はすぐにインターネットに飛びつきました。
WWWは、彼らがやろうとしていたことと親和性が高いんですね。
だから、アメリカのインターネット(という言い方は変だけど)には、カウンターカルチャーの文化がなだれこみました。
日本の場合は、ブッシュのポチの、さらにその番犬が多いみたいですね。
いささかとほほな状況です。
え~、暑いんで、ついついお茶のPETボトルなど買ってしまいます。
どうせなら安売り店で、どうせならおまけ付きで。
このあたりがおばちゃん体質のワタクシです。
これは「お~い お茶」のおまけで、お茶犬とお茶猫。
ちょっと前のやつですね。
お茶犬がくっついてるのは中華饅、お茶猫がくっついてるのは桜餅です。
結局PCバッグやカメラバッグのファスナーにじゃらじゃら付けたりしてます。
幻泉館日録@楽天では、いつもテーマを「70年代サブカルチャー」に設定しています。
書き込む時の儀式みたいなものですな。
楽天広場でテーマというものがあるのを知って、なんとなく自分で作ったテーマです。
正確には「70年代サブカルチャー URC, ELEC, ベルウッド」というテーマ名で、「URC, ELEC, ベルウッドといったところの音楽。 実際は60年代末からね♪ 映画や演劇もアリでしょ。」といういいかげんな説明を付けてあります。
今となっては直したいのですが、後でいじることができません。
仕様です。
しようがない。
URC云々はともかく、この「サブカルチャー」になんだか違和感を感じるのです。
テーマを書き込んだ時は忘れていましたが、本当は「カウンターカルチャー」とか言いたかったのではないかしら。
毎度おなじみ、「広辞苑」を引いてみます。
> カウンター‐カルチャー【counter-culture】
> →対抗文化。
対抗文化よりカウンターカルチャーという方がわかりやすい気がしますな。
しょうがない、「対抗文化」。
> たいこう‐ぶんか【対抗文化】
> (counterculture) 支配的な文化に対抗するもう一つ
> の文化。1960年代のアメリカで、高度管理社会に抗し
> て現れた。都市コロニー・コミューン・大学解放区を
> 拠点に、反戦運動などを展開。
おお、とっても偏ってる気がしますが、まあ、そうか。
羽仁五郎さんの『都市の論理』を思い出しました。
普通はもっとルーズに使うような気がします。
ついつい「対抗文化」の次の語に目が行ってしまいました。
「太公望」です。
腹水、違う、覆水盆に返らず、「It is no use crying over spilt milk.」ですね。
「あなた、出世したわね、ヨリ戻しましょうよ。」
ここでお水をこぼしてみせた釣り好きが太公望さんですな。
せっかくだから「リーダーズ英和辞典」も引いてみます。
> counter・culture
> n 反[対抗]文化, カウンターカルチャー
> 《体制的価値基準や慣習などに反抗する,
> 特に 若者の文化》.
そうそう、こんな感じ。
「広辞苑」の方は、なんだか新解さんみたいな人の影を感じます。
いや、「広辞苑」の方はもっと頑固な方針を貫いています。
序文は現代かなづかいでも歴史的かなづかいでも矛盾がないように書かれています。
形容動詞なんて品詞は認めていません。
「国語」の辞書として品詞分類がいいかげんなのはダメだとよく指摘されますが、実は「国語」の品詞分類自体がいいかげんなんだから問題にならないということではないでしょうか。
話を戻しますが、60年代末から70年代初頭は、大衆文化全般にカウンターカルチャーの雰囲気を持ったものが多かったということなのです。
今「サブカル」という時には、その部分が抜け落ちてしまうのが悔しいなと思うのであります。
2004-07-10 19:09
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コメント(10)
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TITLE: Re:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
こんばんサブレ~♪
さらにおばちゃん体質になりました。
出かけるときは空のペットボトルに、自分でいれたお茶を入れていくのです。キティちゃんの水筒のこともあります。
なんだか家で入れたブレンド茶がおいしいような気がして。
明日、いや、もう今日だわ。オフなので、夜更かししています。
朝8時から川掃除です。
by chappi-chappi (2004-07-10 00:37)
TITLE: Re:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
理念としてのカウンターカルチャーと、いま社会
の表面に露出しているサブカルとはどこかで何かが
間違ったのか大いに違うという気がします。
カウンターが目指していたのは、どこかで既存の
エスタブリッシュに対する違和感のようなものが
あったはずなのですが、サブカルについていえば
既存の経済社会の枠組み内で、とりわけキャッシュ
フローに著しく依存する流通をしばしば忌避せず
むしろニッチ独占で勝ち上がってゆきさえすると
いう志向がみられます。これは理念の不在、もしくは
実感への傾斜。それもやや手放しの傾斜でしょう。
実感を大切にするという部分では、やや敬意を表する
面もあります。しかし自然や社会関係から離れた断片
化された自我にとっての実感で旋回し始めると、それも
たちまち病理に転化するという可能性はあるもので油断
はできません。
by シャルドネ☆ (2004-07-10 00:43)
TITLE: Re[1]:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
chappi-chappiさん、こんばんクッキ~♪
ん、水筒がいいですね。
それが正しい生き方というものです。
うちのお茶もおいしいですよ。
亡き親父様の故郷から送ってもらってます。
あら、朝8時から川掃除ですか。
ごくろうさま。
はまらんでくださいね。
by 幻泉館 主人 (2004-07-10 00:43)
TITLE: Re[1]:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
シャルドネ☆さん、こんばんは♪
ええ、カウンターカルチャーとサブカルは指しているものが違いますね。
by 幻泉館 主人 (2004-07-10 00:49)
TITLE: Re:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
こんにちほしいわお茶のおまけ~♪
なんだかやっとちょっとわかりかけてきました。カウンターカルチャー。
とすると、限界芸術を毎日やっているようなかんじなのですが、内容的には無限堺芸術というかんじですね。歌とか楽器って、心と体の一部なんですよねえ。土とおんなじ。あ、草木もおんなじかなあ。
by chappi-chappi (2004-07-10 14:35)
TITLE: Re[1]:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
chappi-chappiさん、こんにち清掃作業延期~♪
有効なカウンターは既成の枠組みを壊すことにあるのですから、領域の限界にあるもの(marginal)とカウンターカルチャーは仲が良いように思います。
げっしるいとラテン系人類と妖怪の境界線上にいるchappiさんが、歩く、というより跳ねる限界芸術そのものであるのは自然なことと言えましょう。
ほめことばです。
(ほんまかいな)
by 幻泉館 主人 (2004-07-10 14:57)
TITLE: Re:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
こんばん降った~♪
やっと降りました。
さっき、すごい雷さんといっしょでした。
もうやみましたが、ひさしぶりの雨です。
おかげで涼しくなりました。
写真の雲は動いているようですね。
by chappi-chappi (2004-07-10 21:55)
TITLE: Re[1]:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
chappi-chappiさん、こんばんはるさめ~♪
>写真の雲は動いているようですね。
ええ、黒雲がどんどん動いて、晴れ間が広がっていったのでございます。
これで梅雨も明けてしまうのかしらん。
by 幻泉館 主人 (2004-07-10 22:07)
TITLE: Re:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
ご無沙汰しました。色々ありまして。
岩波の国語辞典を長年重宝していたのが、三省堂から「新明解」として対抗馬が出た時は、比べて結構楽しみました。
対抗と言えば、選挙まずまずの成績でしたね。小泉は実績を云々していて、毛の生えた心臓には何も伝わらないのだと、呆れています。(内心少しはこたえているのでしょうか)
by yitiko (2004-07-12 07:48)
TITLE: Re[1]:カウンターカルチャー(07/10)
SECRET: 0
PASS:
yitikoさん、こんにちは♪
新明解は高校生のころ楽しんだ覚えがありますよ~。
三十年前のことです。
岩波国語辞典も、なかなかおもしろい項目があったと思いますが、今はどうなのかしら。
選挙結果に関して言うと、憲法改正ヤバイなあという印象です。
by 幻泉館 主人 (2004-07-12 13:50)