おれにはアメリカの歌声が聴こえる [書籍と雑誌]
私がWindows上で愛用している日本語変換ソフトは、桐に付いている松茸です。
今となっては機能が弱いと言われるのでしょうが、DOS時代からちょっとした操作の感覚が染みついてしまったので、MS IMEやATOKに乗り換えたくないのです。
「おれにはあめりかのうたごえがきこえる」
こう打って変換すると、
「俺にはアメリカの歌声が聞こえる」
となります。
特に、「聞こえる」の箇所は「聴こえる」とは変換できません。
これはわざとそういう変換に設定されてるんですな。
『字訓』を引いてみます。
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「聞」は無意的に「聞(きこ)える」ときにも用い、「聴」は有意的に「聴(正字)き入る」意に用いるが、本来はそのような区別はなく、ただ聞には、神の声として聞いたものを告げるという媒介者的な意があり、「以聞」とはそのことを言う。
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なんのことはない、松茸は「聴き入る」も出ませんでした。
ま、辞書登録すればいいだけなので、これはいいか。
光文社古典新訳文庫の『おれにはアメリカの歌声が聴こえる 草の葉(抄)』買ってきました。
非常に目立つ特徴は、一人称の訳です。
書かれた時期によって、
「おれ」
「ぼく」
「わたし」
と変化しています。
原詩の語感がいまひとつピンと来ないので、この訳し分けが最善のものなのかどうか、よくわかりません。
日本語の場合も、こんなふうに一人称が出世魚みたいに変化したりしないと思うのですが。
意図的に使い分けますけどね。
「新訳」の特徴を鮮烈に出したかったのかなあ。
おれにはアメリカの歌声が聴こえる―草の葉(抄) (光文社古典新訳文庫)
- 作者: ウォルト ホイットマン
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 文庫
2010-06-11 16:47
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