故郷への電話 CHRONICLES #351 [ボブ・ディラン『クロニクルズ』]
そのころのディランは、月に2,3度公衆電話から家に電話をかけていたそうです。
意外に良い子。
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The phone booths were like sanctuaries, step inside of them, shut the accordion type doors and you locked yourself into a private world free of dirt, the noise of the city blocked out.
電話ボックスは聖域のような場所であり、その中に足を踏み入れて蛇腹式のドアを閉めれば、街の騒音を遮断した埃のないプライベートな世界に閉じこもることができた。
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グリニッジビレッジに出てきたディランは、ずっと知り合いのところを泊まり歩く生活をしていました。
本当に一人になれる時間はあまりなかったのかもしれません。
それにしても、故郷へ電話をかけるほんのわずかの時間です。
私の学生時代は、部屋に電話を通している学生は少なかったと思います。
電話を引くのにかかる費用は、一ヵ月分の生活費よりも高かったのです。
共用のピンク電話がある下宿もありましたが、大抵は外の公衆電話を利用していました。
長距離通話の時は百円玉も使えたのですが、おつりが返ってきませんでした。
電電公社はひどい商売をしていましたよね。
あの百円玉の釣り銭なしは、今でも恨んでいます。
もちろん、「財産」を紙切れにしてしまった電話債券も。
→ウナ電
ニューヨークの電話ボックスでディランは一人になれるのですが、電話先の故郷では、そうではありませんでした。
回線を共用するパーティラインだったからです。
それぞれ別の電話番号を持っている八軒から十軒ぐらいの家庭が、同じ一つの回線を使っていたそうです。
互いの話が丸聞こえ。
だから大事な話は、電話ではしないのです。
でも、ディランにはその共用パーティラインは嬉しかったかもしれません。
「僕が元気だということをみんなに知ってもらいたかった」と書いていますから。
ディランは意外に良い子でしたが、もちろん実家にはコレクトコールで電話をかけていたそうです。
ただいまp.226です。
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