洪水はわが魂に CHRONICLES #166 [ボブ・ディラン『クロニクルズ』]
ディランは突然メルヴィルのことを語り始めます。
ハーマン・メルヴィル(Herman Melvill)は有名な作家でしたが、『白鯨(Moby-Dick)』(1851年)を発表した後、次第に忘れられてしまいます。
批評家たちが、メルヴィルは文学の境界を超えてしまったと考えたからです。
メルヴィルは亡くなる時には、すっかり忘れられた作家となってしまいました。
ディランは、批評家が自分の作品を見捨てたら、メルヴィルと同じように同時代の大衆からの支持を失ってしまうのではないかと恐れていたのだそうです。
60年代のディランは自信満々でマスコミを挑発していたようなイメージがあるのですが、結構自分の評判を気にしていたのでしょうか。
前に書いたような気がしますが、私が高校2年生の時のことです。
新潮社がのんびり市で文学講演会を開催してくれました。
今はもうなくなった公会堂へ友人を誘ってでかけました。
武蔵野タンポポ団を聴きに行ったのと同じ感覚です。
その講演会は新潮社の「純文学書き下ろし」の宣伝でした。
このシリーズは、函入り上製本というのが実にぜいたくな感じがして好きでした。
安部公房さんの『箱男』や倉橋由美子さんの『聖少女』をこのシリーズで買って読んだのも、この頃だったでしょう。
ずいぶんトンガッテますな、当時の私は。
講演は開高健さんと大江健三郎さん。
開高さんは『夏の闇』の話を、大江健三郎さんは『洪水はわが魂に及び』の話をしたのだと思いますが、肝心の話はあまり覚えていません。
同様の内容を『波』などで読んで、講演の印象が薄れたのでしょう。
もったいない。
どうせ若造なんだから、いろんなことを直接質問しておけば良かったなあと思います。
ただ、お二人の話の枕だけはよく覚えています。
開高さんはベトナム戦争の話です。
そして、大江さんが『白鯨』の話をしました。
作家志望の青年が来たら、『白鯨』を読むように勧めるという話です。
『白鯨』のすごさに驚いて作家になるのはあきらめるだろうから。
すごいと思わないようでは、元々才能がないのだし。
こういう皮肉で、日本的ではない、「小説」というものを教えてくれたのです。
もちろん非常に素直な少年であった私は、すぐに岩波文庫で『白鯨』を買って読んだのです。
今ではウンチクとかトリビアとか呼ばれそうな、その圧倒的な記述がおもしろかったです。
今でもジンジャーエールと聞くと、出港前のあわただしい光景を連想したりします。
さて、昨夜のワールドユースは残念な結果でしたが、今夜はコンフェデ杯。
もちろん見るつもりなんですが、既にビール頭です。
まだ時間があるなあ。
p.123です。
白鯨(上)岩波文庫 著者: ハーマン・メルヴィル /八木敏雄
白鯨(上)モービィ・ディック 講談社文芸文庫 ハーマン・メルヴィル /千石英世
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