足立巻一『やちまた』 [書籍と雑誌]
あやりん(仮名♀十代)が、約束のお手製ケーキをもってきてくれた。
約束というのは、私の誕生日に焼いてくれるというもの。
だいぶ遅くなって、クリスマスと合体してしまった。
ジョン・レノンのCDを聴きながら、みんなでいただいた。
おいしかったですよ。
御馳走様でした。
先日のことだが、僕がデインジャラスという修飾語を付けて呼んでいる娘が、川上弘美さんの本を持っていた。
冒頭を読ませてもらうとおもしろいので、いたずらごころから「朗読してあげよう」と、読んであげた。
女性の声でゆったりと読んだ方がいいのだろうが、少し速いかなというぐらいの速度で読み上げてみた。
間の取り方が良ければ、この方がわかりやすいのだ。
モグラの出てくる短いエピソードをさっと読み終えた。
朗読の出来は悪くないなと思った。
もう二十年ほども経ってしまった。
そのころはよく女の子たちに詩を朗読したものだ。
ちょうどうるとびーずさんやらいばあさんぐらいの女の子たち。
あまり多い人数の前ではやらない。
ささやきがはっきり聞こえるくらいの人数。
自作の詩でないのが残念だが、それは恥ずかしすぎる。
村上春樹さんという作家の作品はある時期からあまり好きでなくなった。
その境界線上ぐらいにある『ノルウェーの森』。
誰かごく少数の者のためだけのエンターテイナー。
登場人物のそういう生き方には親近感を覚えた。
公開日記という不思議なものを続けている。
深夜放送のリクエストカードとDJというたとえ話をしたのだが、時々だれか一人に向けて語りかけている場合がある。
万人に「それは私だ」と思わせるような商売人の技術は、あいにく持ち合わせていない。
今あなたにこれだけは伝えておきたいと、そんなふうに思うことが時々あるものだ。
深夜放送自体がそんな側面を持っていたかもしれない。
複製技術は、一人に向けた心情吐露を無数のひとりひとりに届けてくれる。
思いはどうつながるのだろう。
もともと広場ではなくて、そんな孤独な、片方向の通信だったのか。
CQ, CQ...
はっと我に返ると、近くで聞いていた他の娘が言った。
「モグラって名前の人がいるのね」
それは違うんだが。
今年読んだ本のベストは、足立巻一さんの『やちまた』。
後ほど、本館に書き散らしたメモを拾い集めて【追記】で書き足しておきます。
【追記】本館日録より
[2003年2月13日]
一年近く前に買って読み始めたはずの本を発掘。
しまった!
これは絶対に面白いはずだと思ったのに、何かドタバタ用事が入って、そのまま忘れていたらしい。
かなりお馬鹿さんである。
最初から読みなおしね。
足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)であります。
本居宣長の息子・本居春庭の評伝です。
なんですが、同時に足立巻一さんの自伝的作品でもあります。
本居春庭という人は、日本語の「四段活用」「変格活用」なんかを整理して命名した学者です。
その著書『詞の八衢』からこの本のタイトル『やちまた』が採られています。
八衢(やちまた)ってなんだかわかりませんので、広辞苑を引いてみます。
* 道が八つに分れた所。また、道がいくつにも分れた所。迷いやすいたとえにもいう。
天皇機関説事件の当時、神宮皇学館という国学の学校にいた足立さんの青春時代から話が始まる。
友人の名前は俳号で語られ、たとえば「腸」であったり、「遮莫」であったりする。
そして、教授の講義の中でごく普通に本居春庭のことを知り、興味をもったので調べ始める。
なんだかつまらなそうに聞こえるかもしれないが、これが実におもしろいのです。
大怪物・本居宣長の業績は、その弟子たちによって二系統に分かれたとされている。
伴信友らの考証学系と、平田篤胤の復古神道である。
この後者が明治維新正当化のイデオロギーとなり、さらに大日本帝国の超国家主義を生み出していく。
それがワタクシが大学での専門として、実はかなり好きだった「国語」を選ばなかった理由でもある。
はっきりと対象化できていたわけではなかったが、日本語への「国学」の呪縛を感じていたからである。
おっと話を急ぎすぎた。
日本語文法の研究という地味な世界の話なのだが、足立巻一さんの青春と、本居春庭さんの青春と、さらにさまざまな国学者のお話を、ゆっくりと楽しませていただくことにします。
[2003年2月21日]
ワタクシ、本を読むスピードはかなり速い方なんですが、『やちまた』は異様に時間がかかってます。
置き忘れたなんていう事件もあったのですが、本当に細切れにゆっくり進んでるんですな。
やっと上巻が終わろうというところ。
第九章で足立さんの学生時代最後の夏休みが終わり、知人が出征していく。
僧義門という文法学者が、かなり共感をもって語られる。
本居春庭の業績を真に理解して用言の分析を科学的に進めたのは鈴屋一門ではなく、門外の人義門であったと。
動詞の活用を現代文法と同じ六種(将然、連用、截断、連体、已然、希求)に分類し、春庭が及ばなかった形容詞の活用法則を発見したのが、この人である。
宣長、春庭をそれぞれ文化、文政の人とイメージすれば、義門は天保の人である。
今の目から見れば、明治維新もすぐそこまで迫っている。
そして第十章が前半のクライマックス、平田篤胤である。
国学の四大人とは平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。
彼の復古神道が攘夷運動に大きな影響を与え、明治維新のイデオロギー的背景となる。
さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。
なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだから困ったものである。
で、まあかなりファナティックなイメージを抱いていたのだが、平田篤胤さん自体はかなり興味深い怪物である。
生活に困窮しながら万巻の書を読み込み、それを再構成して強烈に主張する。
二・二六事件の黒幕として処刑されてしまった北一輝を思い出す。
ポイントは、江戸時代の復古神道が決して上から与えられたものではなかったということ。
篤胤さんはアカデミズムから弾き出された草莽の国学者(というより宗教家)であり、その復古神道を熱狂的に受け入れたのは攘夷派の武士だけではなかったということだ。
江戸末期に「ええじゃないか」と爆発した民衆が、篤胤さんの復古神道を熱狂的に受け入れたのである。
明治維新がどのような革命であったかということは、日本の歴史学の大きなテーマだった。
植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。
この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。
しかし、明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。
たとえば自由民権運動の際、フランスから持ち込まれた自由・平等といった概念は、直接に多摩地区の百姓たちの心に届いていた。
平成の今よりも、人々はもっと自由に自分たちの国のことを考えていたと言えるかもしれない。
自分たちで憲法の私案まで作り出していたのだから。
ちょいと先走り過ぎたな。
まだまだゆっくり楽しみます、『やちまた』。
[2003年2月22日]
『やちまた』メモ
本居宣長→伴信伴(史学)・本居春庭(語学)・萩原広道(源氏物語研究)・小国重年(歌格研究)という、実証的研究、学問の流れ。
神話学・民俗学研究の流れは、他ならぬ平田篤胤によって断ち切られてしまう。
篤胤の神学は学問としての業績はあまり残さなかったが、「狂気をはらんだ思想は、動乱期をゆり動かす一つのエネルギーとなった。むしろ、篤胤は死後に維新の呪術者と化した。」
[2003年2月23日]
ゆっくりと楽しんでいた『やちまた』なのだが、下巻に入ると突然スピードが上がってしまった。
国学者たちの評伝部分が減り、著者足立巻一さんの自伝的記述が増えたためである。
出征し、戦争が終わり、上巻で描かれた友人たちが亡くなっていく。
学校を出てからの時の流れが速い、速い。
自分の来し方を考えても、まあそんな感じだわな。
時の流れが急に速くなったのは、著者がしばらく本居春庭から離れていたせいもある。
日々の暮らしに追われ、いつのまにか人が変わり、去り、ふと時の流れに気づく。
そこで自分の人生の意味を考えると、原点を思い出す……ものらしい。
そういえばうちのおやじさん、死ぬ数年前からめちゃくちゃに軍歌のレコードを聴いてたな。
稲荷神社と航空基地で有名な隣県の都市に何度も行きたがった。
空襲や神風特攻隊に直接関係はなかったのだが、晩年の思いはそこに向かっていたようだ。
それが彼の青春であり、原点だったのだな。
思えばワタクシめもここ数年、70年代のレコードをデジタル化したり、楽譜を集めたり、尋常ではないのめり込みようだ。
危ないかもしんない。
気をつけよ。
[2003年2月25日]
足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)読了。
やけに時間がかかったが、こういう読み方をして良い本だと思う。
面白い本に出会って、それがだいぶ前に刊行されたものだと、どうしてもっと早く巡りあわなかったのかと悔しく思うものだが、『やちまた』の場合はこれも例外。
今読んだからこそ、時の流れが身に沁みて感じられるのではないだろうか。
終盤、資料の発見が山場といえば山場なのだが、淡々と考察を続ける足立さんの人生と、本居春庭の生涯、そして様々な国学者、足立さんの友人たち、この描写が不思議に胸を打つのである。
日本語の文法学については門外漢のワタクシだが、盲目の文法学者・本居春庭を追い続ける足立さんの話はとてもおもしろかった。
そういえば「国語学会」か「日本語学会」か学会の名称変更に関して、会員の郵送による投票が行なわれていたはず。
変更が決まったのだろうか。
【Lycosダイアリー書き込み分】
[2003/02/25(火)] 日本語は国学から解放されるべき
「国語」という名称は「国家語」という用語と紛らわしいし、なんといっても国学の呪縛が強すぎると、個人的に(おいおい、門外漢だぜ)は思う。
本居宣長、本居春庭、僧義門といった国学者たちは実証主義的に、まさに国語学の基礎を築いた。
が、おなじみの国学者・平田篤胤は日本語学者ではない。
「狂気の天才」「怪物」ではあるが、学者ではなく、宗教者なのである。
国学の四大人という言い方は平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。
彼の復古神道が攘夷運動の理論的根拠となり、明治維新のイデオロギー的背景となる。 さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。
なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだからいやはや困ったものである。
確かに日本が植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。
この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。
しかし明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。
たとえば『三酔人経綸問答』は中江兆民の頭の中のドラマではなく、当時の思潮を面白く戯画化してみせたものであろう。
自由民権運動の時代に日本人は、実は平成の現在よりももっと自由に国家の在り方を論じていたのである。
色川大吉『明治精神史』に描かれる憲法草案などもその具体例であろう。
[追記]
国語学会が「日本語学会」に改称決定
日本語学会 776/1170
改称決定ですね。
約束というのは、私の誕生日に焼いてくれるというもの。
だいぶ遅くなって、クリスマスと合体してしまった。
ジョン・レノンのCDを聴きながら、みんなでいただいた。
おいしかったですよ。
御馳走様でした。
先日のことだが、僕がデインジャラスという修飾語を付けて呼んでいる娘が、川上弘美さんの本を持っていた。
冒頭を読ませてもらうとおもしろいので、いたずらごころから「朗読してあげよう」と、読んであげた。
女性の声でゆったりと読んだ方がいいのだろうが、少し速いかなというぐらいの速度で読み上げてみた。
間の取り方が良ければ、この方がわかりやすいのだ。
モグラの出てくる短いエピソードをさっと読み終えた。
朗読の出来は悪くないなと思った。
もう二十年ほども経ってしまった。
そのころはよく女の子たちに詩を朗読したものだ。
ちょうどうるとびーずさんやらいばあさんぐらいの女の子たち。
あまり多い人数の前ではやらない。
ささやきがはっきり聞こえるくらいの人数。
自作の詩でないのが残念だが、それは恥ずかしすぎる。
村上春樹さんという作家の作品はある時期からあまり好きでなくなった。
その境界線上ぐらいにある『ノルウェーの森』。
誰かごく少数の者のためだけのエンターテイナー。
登場人物のそういう生き方には親近感を覚えた。
公開日記という不思議なものを続けている。
深夜放送のリクエストカードとDJというたとえ話をしたのだが、時々だれか一人に向けて語りかけている場合がある。
万人に「それは私だ」と思わせるような商売人の技術は、あいにく持ち合わせていない。
今あなたにこれだけは伝えておきたいと、そんなふうに思うことが時々あるものだ。
深夜放送自体がそんな側面を持っていたかもしれない。
複製技術は、一人に向けた心情吐露を無数のひとりひとりに届けてくれる。
思いはどうつながるのだろう。
もともと広場ではなくて、そんな孤独な、片方向の通信だったのか。
CQ, CQ...
はっと我に返ると、近くで聞いていた他の娘が言った。
「モグラって名前の人がいるのね」
それは違うんだが。
今年読んだ本のベストは、足立巻一さんの『やちまた』。
後ほど、本館に書き散らしたメモを拾い集めて【追記】で書き足しておきます。
【追記】本館日録より
[2003年2月13日]
一年近く前に買って読み始めたはずの本を発掘。
しまった!
これは絶対に面白いはずだと思ったのに、何かドタバタ用事が入って、そのまま忘れていたらしい。
かなりお馬鹿さんである。
最初から読みなおしね。
足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)であります。
本居宣長の息子・本居春庭の評伝です。
なんですが、同時に足立巻一さんの自伝的作品でもあります。
本居春庭という人は、日本語の「四段活用」「変格活用」なんかを整理して命名した学者です。
その著書『詞の八衢』からこの本のタイトル『やちまた』が採られています。
八衢(やちまた)ってなんだかわかりませんので、広辞苑を引いてみます。
* 道が八つに分れた所。また、道がいくつにも分れた所。迷いやすいたとえにもいう。
天皇機関説事件の当時、神宮皇学館という国学の学校にいた足立さんの青春時代から話が始まる。
友人の名前は俳号で語られ、たとえば「腸」であったり、「遮莫」であったりする。
そして、教授の講義の中でごく普通に本居春庭のことを知り、興味をもったので調べ始める。
なんだかつまらなそうに聞こえるかもしれないが、これが実におもしろいのです。
大怪物・本居宣長の業績は、その弟子たちによって二系統に分かれたとされている。
伴信友らの考証学系と、平田篤胤の復古神道である。
この後者が明治維新正当化のイデオロギーとなり、さらに大日本帝国の超国家主義を生み出していく。
それがワタクシが大学での専門として、実はかなり好きだった「国語」を選ばなかった理由でもある。
はっきりと対象化できていたわけではなかったが、日本語への「国学」の呪縛を感じていたからである。
おっと話を急ぎすぎた。
日本語文法の研究という地味な世界の話なのだが、足立巻一さんの青春と、本居春庭さんの青春と、さらにさまざまな国学者のお話を、ゆっくりと楽しませていただくことにします。
[2003年2月21日]
ワタクシ、本を読むスピードはかなり速い方なんですが、『やちまた』は異様に時間がかかってます。
置き忘れたなんていう事件もあったのですが、本当に細切れにゆっくり進んでるんですな。
やっと上巻が終わろうというところ。
第九章で足立さんの学生時代最後の夏休みが終わり、知人が出征していく。
僧義門という文法学者が、かなり共感をもって語られる。
本居春庭の業績を真に理解して用言の分析を科学的に進めたのは鈴屋一門ではなく、門外の人義門であったと。
動詞の活用を現代文法と同じ六種(将然、連用、截断、連体、已然、希求)に分類し、春庭が及ばなかった形容詞の活用法則を発見したのが、この人である。
宣長、春庭をそれぞれ文化、文政の人とイメージすれば、義門は天保の人である。
今の目から見れば、明治維新もすぐそこまで迫っている。
そして第十章が前半のクライマックス、平田篤胤である。
国学の四大人とは平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。
彼の復古神道が攘夷運動に大きな影響を与え、明治維新のイデオロギー的背景となる。
さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。
なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだから困ったものである。
で、まあかなりファナティックなイメージを抱いていたのだが、平田篤胤さん自体はかなり興味深い怪物である。
生活に困窮しながら万巻の書を読み込み、それを再構成して強烈に主張する。
二・二六事件の黒幕として処刑されてしまった北一輝を思い出す。
ポイントは、江戸時代の復古神道が決して上から与えられたものではなかったということ。
篤胤さんはアカデミズムから弾き出された草莽の国学者(というより宗教家)であり、その復古神道を熱狂的に受け入れたのは攘夷派の武士だけではなかったということだ。
江戸末期に「ええじゃないか」と爆発した民衆が、篤胤さんの復古神道を熱狂的に受け入れたのである。
明治維新がどのような革命であったかということは、日本の歴史学の大きなテーマだった。
植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。
この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。
しかし、明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。
たとえば自由民権運動の際、フランスから持ち込まれた自由・平等といった概念は、直接に多摩地区の百姓たちの心に届いていた。
平成の今よりも、人々はもっと自由に自分たちの国のことを考えていたと言えるかもしれない。
自分たちで憲法の私案まで作り出していたのだから。
ちょいと先走り過ぎたな。
まだまだゆっくり楽しみます、『やちまた』。
[2003年2月22日]
『やちまた』メモ
本居宣長→伴信伴(史学)・本居春庭(語学)・萩原広道(源氏物語研究)・小国重年(歌格研究)という、実証的研究、学問の流れ。
神話学・民俗学研究の流れは、他ならぬ平田篤胤によって断ち切られてしまう。
篤胤の神学は学問としての業績はあまり残さなかったが、「狂気をはらんだ思想は、動乱期をゆり動かす一つのエネルギーとなった。むしろ、篤胤は死後に維新の呪術者と化した。」
[2003年2月23日]
ゆっくりと楽しんでいた『やちまた』なのだが、下巻に入ると突然スピードが上がってしまった。
国学者たちの評伝部分が減り、著者足立巻一さんの自伝的記述が増えたためである。
出征し、戦争が終わり、上巻で描かれた友人たちが亡くなっていく。
学校を出てからの時の流れが速い、速い。
自分の来し方を考えても、まあそんな感じだわな。
時の流れが急に速くなったのは、著者がしばらく本居春庭から離れていたせいもある。
日々の暮らしに追われ、いつのまにか人が変わり、去り、ふと時の流れに気づく。
そこで自分の人生の意味を考えると、原点を思い出す……ものらしい。
そういえばうちのおやじさん、死ぬ数年前からめちゃくちゃに軍歌のレコードを聴いてたな。
稲荷神社と航空基地で有名な隣県の都市に何度も行きたがった。
空襲や神風特攻隊に直接関係はなかったのだが、晩年の思いはそこに向かっていたようだ。
それが彼の青春であり、原点だったのだな。
思えばワタクシめもここ数年、70年代のレコードをデジタル化したり、楽譜を集めたり、尋常ではないのめり込みようだ。
危ないかもしんない。
気をつけよ。
[2003年2月25日]
足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)読了。
やけに時間がかかったが、こういう読み方をして良い本だと思う。
面白い本に出会って、それがだいぶ前に刊行されたものだと、どうしてもっと早く巡りあわなかったのかと悔しく思うものだが、『やちまた』の場合はこれも例外。
今読んだからこそ、時の流れが身に沁みて感じられるのではないだろうか。
終盤、資料の発見が山場といえば山場なのだが、淡々と考察を続ける足立さんの人生と、本居春庭の生涯、そして様々な国学者、足立さんの友人たち、この描写が不思議に胸を打つのである。
日本語の文法学については門外漢のワタクシだが、盲目の文法学者・本居春庭を追い続ける足立さんの話はとてもおもしろかった。
そういえば「国語学会」か「日本語学会」か学会の名称変更に関して、会員の郵送による投票が行なわれていたはず。
変更が決まったのだろうか。
【Lycosダイアリー書き込み分】
[2003/02/25(火)] 日本語は国学から解放されるべき
「国語」という名称は「国家語」という用語と紛らわしいし、なんといっても国学の呪縛が強すぎると、個人的に(おいおい、門外漢だぜ)は思う。
本居宣長、本居春庭、僧義門といった国学者たちは実証主義的に、まさに国語学の基礎を築いた。
が、おなじみの国学者・平田篤胤は日本語学者ではない。
「狂気の天才」「怪物」ではあるが、学者ではなく、宗教者なのである。
国学の四大人という言い方は平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。
彼の復古神道が攘夷運動の理論的根拠となり、明治維新のイデオロギー的背景となる。 さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。
なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだからいやはや困ったものである。
確かに日本が植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。
この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。
しかし明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。
たとえば『三酔人経綸問答』は中江兆民の頭の中のドラマではなく、当時の思潮を面白く戯画化してみせたものであろう。
自由民権運動の時代に日本人は、実は平成の現在よりももっと自由に国家の在り方を論じていたのである。
色川大吉『明治精神史』に描かれる憲法草案などもその具体例であろう。
[追記]
国語学会が「日本語学会」に改称決定
日本語学会 776/1170
改称決定ですね。
2003-12-26 00:00
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TITLE: Re:やちまた(12/26)
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幻泉館主人さん、こんばんは。
二十数年前はたしかに女の子だったんだけど、
今「女の子」って冠をつけられるとけっこう照れますね。
いくら永遠の15歳だといっても~~~。(笑)
村上春樹。
私はやっぱり「風の歌を聴け」が一番好き。
後の作品にはあの衝撃を越える作品がないんです。
なんでかなー。
読んだ時代のせいかしら?
妙にその空気が馴染んだというのか。
それにしても詩の朗読、しぶいな。
もしオフ会する機会があったら、ぜひそこで朗読してくださいませ。
らいちゃんも誘っておきます。(笑)
by うるとびーず (2003-12-26 00:12)
TITLE: Re:やちまた(12/26)
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この本読んだのはもう10年以上前かなあ?
確か鶴見俊輔氏の解説のあった本を図書館で
借りて読んだ記憶があります。
今でも朝日文庫版は所持しています。名著ですね。
それでは。
by コブラクロー (2003-12-26 00:26)
TITLE: Re:Re:やちまた(12/26)
SECRET: 0
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うるとびーずさん、こんばんは♪
お身体はもうよろしいのですか?
しまった!
どうしてこのお二方の名前を出してしまったのだろう。
うるとびさんとらいばあさんの前で朗読する勇気はありません。
いぢめないで。
オフ会やりたいですね。
言い出しっぺの原則です。
動いてください♪
by 幻泉館 主人 (2003-12-26 01:01)
TITLE: Re:Re:やちまた(12/26)
SECRET: 0
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コブラクローさん、こんばんは♪
名著ですね。
今年はこの本のおかげで、もしかしたら再生できたのかもしれません。
そうか、今年のCDということで書けるじゃないですか。
明日のネタはそれかしらん。
by 幻泉館 主人 (2003-12-26 01:04)
TITLE: Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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おはようございます☆
今日でシゴト納め。
でも、9日も休んだら、次シゴト行くのがイヤになりそうです。
昨日の日記ですが。
高校生カップル・・・ああいうのがワタシの夢でした。
もう、とても無理♪ダケド。
休み中にたまには読書せねば・・・
今、佐藤賢一の『カルチェ・ラタン』読んでるトコロです。
by gabby03 (2003-12-26 07:57)
TITLE: Re:Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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gabby03さん、おはようございます♪
お休みに入るのですね。
ゆっくりリフレッシュなさってください。
高校生カップルにはなれませんが、一緒に海に沈む夕陽をただ黙って眺めるカップルにはなれますよ……ね?
間に鞄一つ分の空間は難しいかな。
by 幻泉館 主人 (2003-12-26 09:53)
TITLE: Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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おはようございます
クリスマスおわってしまいましたね。
同じ形の手作りのクリスマスケーキを私もたべました^^。
村上春樹。私あまりノルウェーの森すきでないんだけど。なんだか学校で読まされた記憶が。
今回かいてるやちまた面白そうなので
子供がいない今買ってよんでみよっと。
ではよい一日を
by pglove (2003-12-26 09:55)
TITLE: Re:Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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pgloveさん、おはようございます♪
>クリスマスおわってしまいましたね。
同じ形の手作りのクリスマスケーキを私もたべました^^。
きれいに切れなかったので、かわいそうなことをしました。
手作りっていいですね。
>村上春樹。私あまりノルウェーの森すきでないんだけど。なんだか学校で読まされた記憶が。
あまり学校で読まされたくないですね。
だいたいビートルズの曲名、誤訳だし。
>今回かいてるやちまた面白そうなので
子供がいない今買ってよんでみよっと。
若い時に読んでもこんなに胸に沁みなかっただろうなと思います。
特に前半はゆっくり読んで良かったと思います。
ではよい一日を♪
by 幻泉館 主人 (2003-12-26 10:01)
TITLE: Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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幻泉館のご主人さま,こんにちは~。
昨日はお昼過ぎと夕方にページをのぞきにきましたが、chappiのパソコンではだめでした。開かなかったわ。
夕方はちょっとよそみをしたとたんに溝にはまって大分県です。おかずはやっぱり御仏のよろこぶ地味おばんざいでした。
by chappi (2003-12-26 13:18)
TITLE: Re:Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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chappiさん、こんにちは♪
昨日はご迷惑をおかけしました。
3種類のURLは同じものを指しているので、一つがダメな時は他のを試していただくと、つながることがありあます。
先に言っておけよって。
仕事中にレス付けております。
もうまるでやるきなしおくん。
ほとけの幻ちゃんでした。
by 幻泉館 主人 (2003-12-26 13:32)
TITLE: Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
SECRET: 0
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ああ。「やちまた」読んでみたかった本ですね。
ほんとに以前の話なんですが。
>枕草子というのは一見林真理子さんみたいな人が「やだ!」「ステキ!」とか言ってるだけのように見えるんだけど、
これは某桃尻語訳の罪だよな~。
>「香炉峰の雪」も自慢話というより、定子と共にあった幸せな日々を回想していると考えると悲しいです。
と、うろおぼえのよた話。
そうですね。紫式部日記の清少納言観のせいもあるでしょうが。勝気勝気のイメージが先行してますけど、
あれは繁栄を極める彰子中宮に対して、定子中宮が没落していく中で、世間がいかに定子中宮は気落ちしているであろうと思うのに反発するように、楽しいこと嬉しいことを思い返し、香炉峰にしても雪が何時までもつかあてっこする話も、自慢というよりは自分を道化役にして定子中宮の賢さ、心栄えのよさを賛美しているといった感ですよね。
by isemari (2003-12-28 16:41)
TITLE: Re:Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
SECRET: 0
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>ああ。「やちまた」読んでみたかった本ですね。
あわてて読まなくてよかったと思います。
夜泣きじじいの年齢ぐらいになった方が、胸に沁みます。
いい時に読んだわ。
ほんとに以前の話なんですが。
>これは某桃尻語訳の罪だよな~。
あれはあれで我が意を得たり、やったね♪ という感じでした。
十年寝太郎先生には勝てない。
by 幻泉館 主人 (2003-12-28 17:27)
TITLE: Re:足立巻一『やちまた』(12/26)
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も~!私を惚れさす気かぁ?(笑)
おー!あやりん(仮名♀十代)はケーキ作りの名人だわぁ。すごいすごぉい♪(あっ、お茶犬!)
そのデインジャラス娘さんの川上さんのモグラのって、なんだったっけ?
う~思い出せない(^^ゞ
「椰子・椰子」じゃなくてぇ……駄目だ。忘れた(泣)
詩のろ・う・ど・くぅ~?!
私にもきかせてください(耳元で)
いくらですか?(笑)
ウソです。
「やまちた」って、読んじゃった(笑)
随分舌足らずな足立さん、て思って。
そしたら「やちまた」かぁ。
やっちまった(^^ゞ
あ、私も修飾語を付けて呼んでみてください。
せ~の!はい!
by 楓。。 (2004-12-26 18:21)
TITLE: Re[1]:足立巻一『やちまた』(12/26)
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楓。。さん、こんばんは♪
>も~!私を惚れさす気かぁ?(笑)
いえ、めっそうもございません。
>おー!あやりん(仮名♀十代)はケーキ作りの名人だわぁ。すごいすごぉい♪(あっ、お茶犬!)
ええ、去年と今年はお世話になったのです。
これがないとクリスマスらしくないのね。
>そのデインジャラス娘さんの川上さんのモグラのって、なんだったっけ?
>う~思い出せない(^^ゞ
>「椰子・椰子」じゃなくてぇ……駄目だ。忘れた(泣)
あ、それですよ~。
>あ、私も修飾語を付けて呼んでみてください。
>せ~の!はい!
やっぱりでいんじゃ……
by 幻泉館 主人 (2004-12-26 22:13)