フォークリポート「わいせつ」事件:ふたりのラブ・ジュース [書籍と雑誌]
NHK BS-2で『世紀を刻んだ歌3 人生よ、ありがとう』を観たのだが、それはまた明日の日録にて。
ああ、映画『サンチャゴに雨が降る』は観てないんですよ。
1973年9月11日。
そう、「9.11」はアメリカこそが「テロ支援国家」であった歴史的日付なのです。
今年は三十周年です。
数年前からURC(アングラ・レコード・クラブ)の音源や雑誌なんぞを探してぼつぼつと入手しているのだが、実際に当時買ったものは少ない。
AMの深夜放送で聴いたり、立ち読みしたりといったところがせいぜい。
中学生のおこずかいでは、そうそう買えるものではありませんでした。
お兄さん欲しかったです。
坂崎幸之助さんは、その辺を網羅して買っているお兄さんがいたんですね。
同居していた従姉がモンキーズのデイビーのファンだったので、モンキーズだけは詳しかったのよ、とほほ。
私がもう少し長じて高校生になると、既にURCの時代は終わろうとしていました。
このぐらいの年齢での一年の差は大きい。
中津川フォーク・ジャンボリーの第三回、つまり最後は1971年でした。
これが最後になるんだなんて、こちらにはわからない。
高校生になったら行こうと思って、一所懸命ギターの練習なんかしてるわけです。
佐野史郎さんは「はっぴいえんど」を見に行ったそうで、「はいからはくち」と「春よ来い」の間に「えーど、えーど」と叫んでいる高校生佐野君の声が聞こえます。
うらやましい。
URC・音楽舎は雑誌も出していました。
時期によって「folk report うた うた うた」だったり、「季刊フォーク・リポート」だったりします。
書籍雑誌の取次は通さずに、レコード流通でレコード店に置いていたようです。
田舎町の小さなレコード屋さんの片隅で、私は一所懸命立ち読みしました。
当時私が唯一買ったのは「1971秋号」。
第三回フォーク・ジャンボリーの詳細なタイムテーブルが載っているので、今まで捨てずに手元に生き残りました。
当時は高校生だった、評論家黒沢進さんの投書なんぞ載ってたりします。
ここ数年、その他の号も読みたいと思っていたのですが、ネット上に目録を出している古本屋やYahoo!オークションで、数冊買うことができました。
ヤフオクの場合はとんでもない値段になることがあるのですが、あわてても仕方がない。
何回か我慢したら、「わいせつ裁判」になった号までリーズナブルな価格で入手することができました。
画像は左から、
『folk report うた うた うた 1970年 冬の号』
『季刊フォークリポート 1971年春号』
『季刊フォークリポート 1971年秋号』
元々自分で買った「1971年秋号」が一番汚いです。
「71夏号」「71秋号」は編集長が室謙二さん。
BASIC ENGLISHという人工言語なんかも研究していた早稲田の室勝先生の息子さん。
その後「思想の科学」の編集長なんかもやったりしますが、「PopEye」なんかに原稿を書いたり、「朝日パソコン」なんかでも連載してましたね。
今はアメリカ在住なんでしょうか。
編集長に対する批判の投書がたくさん載ってまして、室編集長なかなか頑張ってますな。
なぜ批判が多いのかというと、「70冬号」の編集長が中川五郎さん、そしてその号が「わいせつ」を理由に押収され、後に五郎さんが猥褻図画販売裁判の被告となるからであります。(起訴は72年)
五郎さんは編集長としての責任と、掲載した小説「ふたりのラブジュース」の作者としての責任を問われ、法廷で闘うことになったのです。
その直後の編集長なんか、大変だわよね。
何やったって誰かに怒られるんだから。
当時は野坂昭如さんが雑誌「面白半分」で、やはり猥褻でやられてます。
猥褻というより、野坂さんも五郎さんも実際は権力に狙い打ちされたというのが正解ね。
中川五郎さんはあの「受験生ブルース」の作詞者だったり、「腰まで泥まみれ」という反戦歌を歌っていたり、実に跳ね返っていたのです。
が、どうも今ひとつ線が細くて、今で言う癒し系みたいな人なんです。
「25年目のおっぱい」という実に温かい名曲も歌っています。
ああ、あの曲好きだな。
定期購読していた中学生・高校生のところへ警察がやってきて、雑誌を押収していったのですね。
実は任意なんだけど、跳ね上がりに対する威嚇効果は抜群です。
みんな恐れ入って腰が引けてしまう。
「71秋号」にはその辺の生々しい投書が載っています。
実は問題の小説「ふたりのラブジュース」(山寺和正=中川五郎)にはあまり興味がない。
これ、いつかどこかで読んだと思う。
ただ、この雑誌そのものが読みたかったのだ。
表2の広告が社会新報の新報新書。
『部落 ある靴職人の視点』(土方鉄)や『どきゅめんと筑豊』(上野英信)が並んでいて、ああ、日本社会党がなくなったのは痛いなと思う。
ジミ・ヘンドリックス(9月)、ジャニス・ジョプリン(10月)の訃報が載っているのもすごい。
二人とも「麻薬過多服用」のため。
特集が「岡林と高石を裸にする」で、実は壁にブチ当たっていた第一世代の二人が詳しく語られている。
三橋一夫さんの高石論、良いです。
片桐ユズルさんが岡林を語っています。
ダグラス・ラミスさんが室謙二、岡林と鼎談(ていだん・書けない)しています。
あ、『スリーマイル島』訳者にしてユズルさん弟の中尾ハジメさんが「うんち穴ファシズム論」というわけのわからない文章を書いてます。
やっぱ濃いわ。
で、小説はまあわりと正直に高校生の愛と性を語ってみました、みたいな感じだったんですが。
五郎さんは裁判の開始から10年後の1982年に晶文社から『裁判長殿、愛って何?』というタイトルで、この裁判の記録集&エッセイを出します。
私、その本の書評(っつうか、宣伝だわな)を某雑誌に書かせていただきました。
そいういうふうに関わるとは思ってなかったけど。
80年当時はやっぱり吉祥寺周辺にお住まいでありましたな。
ああ、映画『サンチャゴに雨が降る』は観てないんですよ。
1973年9月11日。
そう、「9.11」はアメリカこそが「テロ支援国家」であった歴史的日付なのです。
今年は三十周年です。
数年前からURC(アングラ・レコード・クラブ)の音源や雑誌なんぞを探してぼつぼつと入手しているのだが、実際に当時買ったものは少ない。
AMの深夜放送で聴いたり、立ち読みしたりといったところがせいぜい。
中学生のおこずかいでは、そうそう買えるものではありませんでした。
お兄さん欲しかったです。
坂崎幸之助さんは、その辺を網羅して買っているお兄さんがいたんですね。
同居していた従姉がモンキーズのデイビーのファンだったので、モンキーズだけは詳しかったのよ、とほほ。
私がもう少し長じて高校生になると、既にURCの時代は終わろうとしていました。
このぐらいの年齢での一年の差は大きい。
中津川フォーク・ジャンボリーの第三回、つまり最後は1971年でした。
これが最後になるんだなんて、こちらにはわからない。
高校生になったら行こうと思って、一所懸命ギターの練習なんかしてるわけです。
佐野史郎さんは「はっぴいえんど」を見に行ったそうで、「はいからはくち」と「春よ来い」の間に「えーど、えーど」と叫んでいる高校生佐野君の声が聞こえます。
うらやましい。
URC・音楽舎は雑誌も出していました。
時期によって「folk report うた うた うた」だったり、「季刊フォーク・リポート」だったりします。
書籍雑誌の取次は通さずに、レコード流通でレコード店に置いていたようです。
田舎町の小さなレコード屋さんの片隅で、私は一所懸命立ち読みしました。
当時私が唯一買ったのは「1971秋号」。
第三回フォーク・ジャンボリーの詳細なタイムテーブルが載っているので、今まで捨てずに手元に生き残りました。
当時は高校生だった、評論家黒沢進さんの投書なんぞ載ってたりします。
ここ数年、その他の号も読みたいと思っていたのですが、ネット上に目録を出している古本屋やYahoo!オークションで、数冊買うことができました。
ヤフオクの場合はとんでもない値段になることがあるのですが、あわてても仕方がない。
何回か我慢したら、「わいせつ裁判」になった号までリーズナブルな価格で入手することができました。
画像は左から、
『folk report うた うた うた 1970年 冬の号』
『季刊フォークリポート 1971年春号』
『季刊フォークリポート 1971年秋号』
元々自分で買った「1971年秋号」が一番汚いです。
「71夏号」「71秋号」は編集長が室謙二さん。
BASIC ENGLISHという人工言語なんかも研究していた早稲田の室勝先生の息子さん。
その後「思想の科学」の編集長なんかもやったりしますが、「PopEye」なんかに原稿を書いたり、「朝日パソコン」なんかでも連載してましたね。
今はアメリカ在住なんでしょうか。
編集長に対する批判の投書がたくさん載ってまして、室編集長なかなか頑張ってますな。
なぜ批判が多いのかというと、「70冬号」の編集長が中川五郎さん、そしてその号が「わいせつ」を理由に押収され、後に五郎さんが猥褻図画販売裁判の被告となるからであります。(起訴は72年)
五郎さんは編集長としての責任と、掲載した小説「ふたりのラブジュース」の作者としての責任を問われ、法廷で闘うことになったのです。
その直後の編集長なんか、大変だわよね。
何やったって誰かに怒られるんだから。
当時は野坂昭如さんが雑誌「面白半分」で、やはり猥褻でやられてます。
猥褻というより、野坂さんも五郎さんも実際は権力に狙い打ちされたというのが正解ね。
中川五郎さんはあの「受験生ブルース」の作詞者だったり、「腰まで泥まみれ」という反戦歌を歌っていたり、実に跳ね返っていたのです。
が、どうも今ひとつ線が細くて、今で言う癒し系みたいな人なんです。
「25年目のおっぱい」という実に温かい名曲も歌っています。
ああ、あの曲好きだな。
定期購読していた中学生・高校生のところへ警察がやってきて、雑誌を押収していったのですね。
実は任意なんだけど、跳ね上がりに対する威嚇効果は抜群です。
みんな恐れ入って腰が引けてしまう。
「71秋号」にはその辺の生々しい投書が載っています。
実は問題の小説「ふたりのラブジュース」(山寺和正=中川五郎)にはあまり興味がない。
これ、いつかどこかで読んだと思う。
ただ、この雑誌そのものが読みたかったのだ。
表2の広告が社会新報の新報新書。
『部落 ある靴職人の視点』(土方鉄)や『どきゅめんと筑豊』(上野英信)が並んでいて、ああ、日本社会党がなくなったのは痛いなと思う。
ジミ・ヘンドリックス(9月)、ジャニス・ジョプリン(10月)の訃報が載っているのもすごい。
二人とも「麻薬過多服用」のため。
特集が「岡林と高石を裸にする」で、実は壁にブチ当たっていた第一世代の二人が詳しく語られている。
三橋一夫さんの高石論、良いです。
片桐ユズルさんが岡林を語っています。
ダグラス・ラミスさんが室謙二、岡林と鼎談(ていだん・書けない)しています。
あ、『スリーマイル島』訳者にしてユズルさん弟の中尾ハジメさんが「うんち穴ファシズム論」というわけのわからない文章を書いてます。
やっぱ濃いわ。
で、小説はまあわりと正直に高校生の愛と性を語ってみました、みたいな感じだったんですが。
五郎さんは裁判の開始から10年後の1982年に晶文社から『裁判長殿、愛って何?』というタイトルで、この裁判の記録集&エッセイを出します。
私、その本の書評(っつうか、宣伝だわな)を某雑誌に書かせていただきました。
そいういうふうに関わるとは思ってなかったけど。
80年当時はやっぱり吉祥寺周辺にお住まいでありましたな。
2003-09-22 00:00
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TITLE: Re:フォークリポート「わいせつ」事件:ふたり(9/22)
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そんな時代だったのですね
おぼろげに覚えているような?
by 夜間飛行 (2003-09-22 01:30)
TITLE: Re:Re:フォークリポート「わいせつ」事件:ふたり(9/22)
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脈絡なく吉祥寺ネタ~。
俳優の河原崎長一郎さんが亡くなりましたが、70年代に吉祥寺で何度かお見掛けしました。
ゆっくりと自転車に乗ってました。
南口に前進座がありましたね。
中に入ったのは一度きり、90年代に上々颱風のコンサートの時だけです。
by 幻泉館 主人 (2003-09-22 04:59)
TITLE: Re:フォークリポート「わいせつ」事件:ふたり(9/22)
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吉祥寺ネタ うれしいけど どうやら私はモグリのようです 当時チャラチャラしてたから学校近くの喫茶店と駅北口近くの店やロンロンで遊ぶくらいでした
つぎつぎ出てくるおいしそうな話題についていけない・・・ かなり残念!
ジャズ喫茶も友達とは趣味が合わなくて大抵一人で入ってましたから。。。
前進座は全く覚えてません
by 夜間飛行 (2003-09-22 08:11)
TITLE: Re:フォークリポート「わいせつ」事件:ふたり(9/22)
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どうかな?!と、思ったけど、やはりこれはつげさんの「ゲンセン館」ですよね?!
フォークリポートの、「これ」は宇都宮で発禁になった直後、ガリ版刷りで「ラブジュース」の海賊版を数百部つくって、ばらまきました♪笑
なつかしい思い出です。
表参道の歩道橋のところにあるわき道をひょいと入ったマンションのひと部屋に音楽舎&URC(うれないれこーどくらぶ)がありました。
よく、ぼくらのアマチュアコンサートのゲストに、
えんどうけんじ、かがわりょう、たんぽぽだん、など呼んでいたので、よく見本盤や見本誌をもらってましたよ。
by はるる20 (2003-09-22 23:40)
TITLE: Re:Re:フォークリポート「わいせつ」事件:ふたり(9/22)
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はるる20さん、こんばんは♪
はい、「ゲンセン館主人」でございます。
いやはや、うらやましいお話です。
URCの東京事務所といえば、原宿のセントラルアパートですね。
若松プロや、話の特集、草思社、第三書館……。
加川良さんは元々URCの社員さんだったとか。
私もあの周辺に少しだけ思い出があります。
by 幻泉館 主人 (2003-09-22 23:56)