カリスマの苦悩 CHRONICLES #155 [ボブ・ディラン『クロニクルズ』]
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名声と富は力を生み出すもの、栄光と幸福をもたらすものだと思われている。そういうこともあるのかもしれないが、そうではない場合もあるのだ。僕は守らなければならない家族とともに、無防備なままウッドストックにしがみついていた。でも、マスコミでは僕はまったく違うように描かれていた。煙幕がどれだけ厚くなったか、驚くべきほどだった。世間はいつも贖罪の山羊を必要としているようだった。ローマ帝国に対する責任を負わせる何者かを。
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日本でも、ボブ・ディランの後を追いかけるように、社会性の高い歌を歌うことによって絶大な人気を得る歌手が現われました。
まず高石友也さん。
その事務所からさらに中川五郎さん、岡林信康さん。
そう、「アングラ・レコード・クラブ」つまりURCが生まれるのです。
ピート・シーガーやボブ・ディランの曲に日本語詞を付けて歌ったり、オリジナルの曲を作って歌ったり、ピートやボブのこどもたちです。
昨今はすぐに「カリスマ」の修飾語が付いてしまいますが、一時の岡林さんは本当にカリスマ的な人気を得ていたのではないかと思います。
日本の場合はコンサート後の討論会のようなものや、「商業主義批判」が彼らを消耗させたようですが、ディランと同様に世代を代表させられる重荷を背負ったのでしょう。
岡林信康は失踪し、高石友也は福井県の名田庄村に移住します。
一旦戻ってきた岡林さんが手本にしたのは、ボブ・ディランです。
はっぴいえんどをバックに歌う姿は、ディランとザ・バンドのようでした。
高石さんは渡米してフォークソングの源流を辿り、「ひとびと音楽」を目指すことになります。
私たちはもうその後を知ってしまっています。
ザ・ナターシャー・セブンは木田高介さんと坂庭省悟さんが亡くなり、城田純二さんは塀の中に入ってしまいました。
でも、別に「結果」が出ているわけではありません。
高石友也さんも岡林信康さんも、それから中川五郎さんも歌っています。
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でも、アメリカはローマ帝国ではなかったので、他の誰かが進んで引き受けなければならないのだ。僕は本当はけっして僕以上のものなんかではなかった。涙でよく見えない目で灰色の霧の中を覗き込んでは、輝くもやの中に浮かぶ歌を作る、フォーク歌手だ。それが僕の目の前で弾けとび、僕の上にのしかかっている。僕は奇跡を行なう説教師ではなかった。それでは誰でも気がおかしくなってしまっただろう。
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ただいまp.116です。
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