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所帯持ちディラン CHRONICLES #144 [ボブ・ディラン『クロニクルズ』]

千本浜 2005年5月21日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

二行空けて話が変わります。

テーブルの上にあったアーチボルド・マクリーシュ(Archibald MacLeish)からの手紙。
今書いている戯曲に合わせて歌を書いてくれないかという依頼のようです。
スティーブン・ビンセント・ベネー(Stephen Vincent Benet)の短編を元にした劇のようです。

 →Dylan pool: Scratch

お、便利なサイトができてますね。
1971年の作品だそうです。
その作品の準備ですから、前章の最後に描かれた「旅立ち」から十年近くの歳月が流れています。

高校生ぐらいの時に、十年後の自分が何をしているかなんて、まったく見当がつきませんでした。
おじさんになってしまうと、たいして時が流れていないような気分になってしまいます。
若者の十年、大切ですね。

アーチボルド・マクリーシュという詩人・劇作家を私は知らないのですが、早くにトニー賞を受賞したと、ディランは書いています。
調べてみると、ルーズベルト政権で広報・文化担当の国務次官補を務めていたそうです。
国家反逆罪に問われたエズラ・パウンドのために奔走したようですね。

 →歴史の中のエズラ・パウンド

そのころ、つまり1970年ごろ、ディランは「all the cultural mumbo jumbo」の一切合切が嫌になっていたそうです。
「文化」という言い方をしていますが、日本で言えば「政治の季節」的なもののようです。
公民権運動指導者の暗殺、当局の弾圧、学生と警官隊の衝突といった例を挙げています。
「コミューン」「フリーラブ」「反貨幣制度運動」といったものは、日本とだいぶ雰囲気が違うのでしょう。

「僕は所帯を持っていたのだから(I was a family man now)」という言い方が、ディランらしくないなと思いました。
家庭を大切にする、外出嫌いの男……なんでしょうか、ボブ・ディラン?

ディランは奥さんと一緒に、マサチューセッツ州のコンウェーへ車で出かけます。
マクリーシュに会って、打ち合わせをするつもりです。

マクリーシュの家は静かな月桂樹の山道を上っていきます。
屋敷には、色鮮やかなカエデの葉が積もった中に通路が通っています。
木陰になった小さな橋を渡ると、マクリーシュの仕事場がありました。
石造りの小屋です。

散歩をしたら実に心地好さそうなところです。
十年近く前、膝までずぶ濡れになってウッディの自宅にたどり着いた時とは大違いです。
この時、ディランは既に"Self Portrait"(1969)までの十枚近くのアルバムを発表しています。
まさに"Dylan is Dylan"になっていました。

1969年には、「ディランの子供たち」と呼べそうな若者がウッドストックで大規模なコンサートを開きました。
日本でも中津川フォークジャンボリーが始まり、そしてもうすぐ春一番コンサートが始まるというころです。

管理人らしき人に入れてもらうと、マクリーシュの奥さんがお茶を持ってきます。
温かい言葉をかけて、部屋の外へ出ていきます。
ディランの奥さんも一緒に出ていきます。

う~ん、まだなんだかしっくり来ないなあ。
グリニッジビレッジで明日を夢見ていたディラン青年が懐かしいです。

ただいまp.109です。

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