キース・ジャレット『ケルン・コンサート』(1975年) [音楽]
高校時代、家の近くにレコード屋さんができた。
これはすごい快挙だった。
その時の嬉しさは、都会育ちの人にはわからないだろう。
だって、周りはたんぼしかなかったんだから。
幼稚園の時にここに引っ越してきた。
なぜか二つの市立中学校がすぐそばに建っていたのだが、他にはほとんど何もなかった。
あまりの寂しさに、家から見える富士山を私は薄紫色で描いた。
それから十年近く経って、田園の中に郊外型の大型レコード店ができたのだ。
高価なオーディオ機器も展示してあって、夢のようだった。
のんびり市の説明を少ししておくと、東京から約120km、東海道ベルト地帯なので、まずまず栄えた町である。
これならべつにわざわざ「のんびり市」などと書かなくてもすぐわかるから実名を書けばよさそうなものだけど、若干事実を曲げて説明することもあるのです。
よく言えば私の「イーハトーボ」にしたいからです。
幻泉館主人は日ソ国交回復の年、スターリン批判の年、ハンガリー事件の年に生まれました。
もちろん生まれた本人はそんな出来事などまったく知りません。
のんびり市の下町、日本で一番重要とされる幹線道路沿いにあった伯母の家で生まれました。
当時はその国道を市電が走っていました。
道路の反対側を少し行くと一級河川が流れていて、川の向こうには小さな山があります。
標高193m、「一休さん」と覚えます。
山というより、丘ですね。
うっすらとした記憶ですが、小さいころ父と母に連れられてその山に登ったのを覚えています。
何故かその頃、渡し舟がありました。
途中で疲れて歩くのがいやになり、二人の間で手を持ってもらい、ぶらさがったりしたのを覚えています。
その山全体が市の公園なのですが、その山の頂上に、やはりどういうわけか大宇宙教といったような名前の宗教団体が勝手に天文台を造ってしまいました。
テレビで砂の嵐を見せて、「ハイ、これが人工衛星!」などと怪しい説明をしていました。
かわいそうなライカ犬は既に消滅し、若き空軍少佐ユーリ・ガガーリンが搭乗していたころでしょう。
天文台の隣には、本当にごくごく小さな動物園もありました。
伯母の家にはもちろん上水道が通っていましたが、なぜか共同井戸も使っていました。
今夜はカレーライスだというような時、つまり生水を飲む時は井戸の水を使いました。
富士山の雪解け水ということでおいしかったのでしょうか。
市電(チンチン電車)も、渡し舟も、天文台も、共同井戸も、今はありません。
60年安保のころでしょう、小さな幻泉館主人(かわいい♪)は、近くの駄菓子屋「やなぎや」さんに行くのが大好きでした。
駄菓子にはあまり興味がないのです。
おそらく売れ残って返本となった月刊雑誌の付録のマンガ本が、新聞紙で作った袋に入れられていて、クジのように自分で選んで買うものがあったのです。
これは何と呼べばいいものなのでしょうか。
袋物……じゃないよなあ。
本当に三つ子の魂百まででして、おかげで今でも半端な本や雑誌に埋もれて暮らしています。
まだ幼稚園にも行く前なので完全にオミソなんですが、地域のガキ大将が面倒を見てくれました。
元号は使いたくないのですが、昭和三十年代のガキ大将はみんなの遊びを考え、ルールを作り、そしてちびっ子の安全を配慮していました。
威張るだけの努力をちゃんとしていたのです。
テレビの台数も少ないころ、近所の人たちがみんな一軒の家に集まってわあわあ言いながら放送を見たそうです。
私は、それは覚えていません。
家に初めてテレビが来た日は覚えています。
あのころの親父様は、今の私よりずっと若かったのだな。
思えば、あの頃の親父様はいい笑顔をしていました。
あの、無法松の坂妻の笑顔。
昔の日本人の、庶民の笑顔。
映画『戦場のメリークリスマス』のビートたけしや、『異人たちの夏』の片岡鶴太郎は、その笑顔を出そうとしたのでしょう。
幻泉館の近くには日本で最も重要とされる国道が走っている。
私が小さな頃育った伯母の家の近くに走っていた幹線道路が、やはりこちらに移ってきたのである。
地元の人たちは今でもこの幹線道をバイパスと呼んでいる。
70年代に建設された「バイパス」だったからだ。
バイパスからさらに山側に入ると、60年代に建設された高速道路が走っている。
伯母の家は川や海が近かったが、今の幻泉館は山(丘じゃない本当の山)が近い。
私が高校生の時はバイパスがまだ建設中だった。
水田も残っており、ガランとした風景の中を広いバイパスが通っていた。
全線開通はしていなかったが、幻泉館付近では道路部分が完成して、車も通行していた。
ただ、側道や中央分離帯はまだ手付かずだったので、適当なところで横断することができた。
地域の県立進学高も川の側から山の中に移転していた。
私はこのバイパスをいいかげんなところで横断して高校に通っていた。
今は絶対に渡ることができない場所を、のんびり横断していたのである。
高速道路を使ってやってくる観光客目当てに、広い道路端で西瓜を並べて売ったりしていた。
中古のパチンコ台なんかも並べてあった。
学生時代、短期間だが測量のアルバイトをしたことがある。
早稲田鶴巻町あたりの、つまり下宿の近所の区画整理が現場のはずだったのだが、足立区の方へも連れていかれた。
がらんとした殺風景な土地を環状七号線が通っている。
同じ道路なのに、高円寺あたりの風景と比べると本当に殺伐としていた。
故郷の建設中バイパスに似ているなと思った。
幻泉館近くの「バイパス」は今では、この道端でスイカを売っていたと言っても信じてもらえないほど、郊外型の大規模店舗が軒を並べている。
家電・パソコン、CD・楽器、ファミレス、ジーンズ・礼服、カラオケ、書籍 etc...
高校生の時、つまりまだ道端でスイカを売っていたころに、そのレコード屋さんは他に先駆けて郊外型の大規模店舗を造ったのである。
当然のことだが、そのレコード屋さんにはよく通った。
(ずいぶん長い前置きでしたな。もうそんなに書けない。)
ここで、とにかくレコードを一枚一枚見ていたのだ。
それも、日本盤は高いので、妙に安い輸入盤をじっくりと見た。
輸入盤なら千円ぐらいからあったので、毎月買うことができた。
ただ、シュリンク包装してあるので、試聴することができない。
流行モノの新譜はさすがにちょっと高い。
まるで知らない名前のポップシンガー、カントリー&ウェスタン、ジャズ、こんなところを怪しげな英語力で解読して、勘を頼りに買うのである。
値段を考えると、結局はジャズが無難だということがわかった。
マイルス・デイビスのレコードはこうやって買ったものが多い。
50年代の名盤である。
ウェイン・ショーターが参加したような新しいものは、まだ高かったのだ。
日本の歌謡曲がニューミュージックと呼ばれるようになると、かつてフォークと呼ばれた音楽は輝きを失った。
僕はジャズのレコードばかり買うようになり、早く東京に出たいなと思った。
スイングジャーナル社が創刊した雑誌「アドリブ」の創刊号はマイルス・デイビスの完全ディスコグラフィーが売り物で、まだジャズ雑誌と言っても良かった。
"CIRCLE"では前衛的ジャズという印象だったチック・コリアがRETURN TO FOREVERというグループを結成して、同名のアルバムを発表した。
例の1972年である。
とにかくNHKの番組のバックにはよく流れていた。
「永遠回帰」とはまた妙な名前を付けたものだ。
「リターン・トゥ・フォーエヴァー」の第一アルバムは『かもめのジョナサン』とイメージが重なるのだが、それも故なしではない。
導師グルがいて弟子がいる、あのオウム真理教の好んだ戯画をどちらも描いているのだっから。
70年代初頭に、このチック・コリアがECMというレーベルから出したアルバムで時代を席巻するのでありますが、同時期にキース・ジャレットもECMからアルバムを発表しました。
『フェイシング・ユー』(1971年)
『ソロ・コンサート』(1973年)
これがすごかったんですね。
ただ、高かった。
3枚組みではとても買えないんです。
ところが、1975年、さらに『ソロ・コンサート』をもっとずっと聴きやすくしたような2枚組みアルバムが出ました。
かなり早い時期に安い輸入盤を見つけて、買いました。
これがあの『ケルン・コンサート』(1975年)。
聴きやすいどころじゃない、あちこちでやたらに流れる、超有名アルバムになってしまいました。
なんだかフォーク・ロックみたいなフレーズが繰り返されたり、あの冒頭のアレ、FMの番組のテーマになったりしましたね。
そうだ、『ケルン・コンサート』は井の頭のアパートで聴いていたのだ。
これはすごい快挙だった。
その時の嬉しさは、都会育ちの人にはわからないだろう。
だって、周りはたんぼしかなかったんだから。
幼稚園の時にここに引っ越してきた。
なぜか二つの市立中学校がすぐそばに建っていたのだが、他にはほとんど何もなかった。
あまりの寂しさに、家から見える富士山を私は薄紫色で描いた。
それから十年近く経って、田園の中に郊外型の大型レコード店ができたのだ。
高価なオーディオ機器も展示してあって、夢のようだった。
のんびり市の説明を少ししておくと、東京から約120km、東海道ベルト地帯なので、まずまず栄えた町である。
これならべつにわざわざ「のんびり市」などと書かなくてもすぐわかるから実名を書けばよさそうなものだけど、若干事実を曲げて説明することもあるのです。
よく言えば私の「イーハトーボ」にしたいからです。
幻泉館主人は日ソ国交回復の年、スターリン批判の年、ハンガリー事件の年に生まれました。
もちろん生まれた本人はそんな出来事などまったく知りません。
のんびり市の下町、日本で一番重要とされる幹線道路沿いにあった伯母の家で生まれました。
当時はその国道を市電が走っていました。
道路の反対側を少し行くと一級河川が流れていて、川の向こうには小さな山があります。
標高193m、「一休さん」と覚えます。
山というより、丘ですね。
うっすらとした記憶ですが、小さいころ父と母に連れられてその山に登ったのを覚えています。
何故かその頃、渡し舟がありました。
途中で疲れて歩くのがいやになり、二人の間で手を持ってもらい、ぶらさがったりしたのを覚えています。
その山全体が市の公園なのですが、その山の頂上に、やはりどういうわけか大宇宙教といったような名前の宗教団体が勝手に天文台を造ってしまいました。
テレビで砂の嵐を見せて、「ハイ、これが人工衛星!」などと怪しい説明をしていました。
かわいそうなライカ犬は既に消滅し、若き空軍少佐ユーリ・ガガーリンが搭乗していたころでしょう。
天文台の隣には、本当にごくごく小さな動物園もありました。
伯母の家にはもちろん上水道が通っていましたが、なぜか共同井戸も使っていました。
今夜はカレーライスだというような時、つまり生水を飲む時は井戸の水を使いました。
富士山の雪解け水ということでおいしかったのでしょうか。
市電(チンチン電車)も、渡し舟も、天文台も、共同井戸も、今はありません。
60年安保のころでしょう、小さな幻泉館主人(かわいい♪)は、近くの駄菓子屋「やなぎや」さんに行くのが大好きでした。
駄菓子にはあまり興味がないのです。
おそらく売れ残って返本となった月刊雑誌の付録のマンガ本が、新聞紙で作った袋に入れられていて、クジのように自分で選んで買うものがあったのです。
これは何と呼べばいいものなのでしょうか。
袋物……じゃないよなあ。
本当に三つ子の魂百まででして、おかげで今でも半端な本や雑誌に埋もれて暮らしています。
まだ幼稚園にも行く前なので完全にオミソなんですが、地域のガキ大将が面倒を見てくれました。
元号は使いたくないのですが、昭和三十年代のガキ大将はみんなの遊びを考え、ルールを作り、そしてちびっ子の安全を配慮していました。
威張るだけの努力をちゃんとしていたのです。
テレビの台数も少ないころ、近所の人たちがみんな一軒の家に集まってわあわあ言いながら放送を見たそうです。
私は、それは覚えていません。
家に初めてテレビが来た日は覚えています。
あのころの親父様は、今の私よりずっと若かったのだな。
思えば、あの頃の親父様はいい笑顔をしていました。
あの、無法松の坂妻の笑顔。
昔の日本人の、庶民の笑顔。
映画『戦場のメリークリスマス』のビートたけしや、『異人たちの夏』の片岡鶴太郎は、その笑顔を出そうとしたのでしょう。
幻泉館の近くには日本で最も重要とされる国道が走っている。
私が小さな頃育った伯母の家の近くに走っていた幹線道路が、やはりこちらに移ってきたのである。
地元の人たちは今でもこの幹線道をバイパスと呼んでいる。
70年代に建設された「バイパス」だったからだ。
バイパスからさらに山側に入ると、60年代に建設された高速道路が走っている。
伯母の家は川や海が近かったが、今の幻泉館は山(丘じゃない本当の山)が近い。
私が高校生の時はバイパスがまだ建設中だった。
水田も残っており、ガランとした風景の中を広いバイパスが通っていた。
全線開通はしていなかったが、幻泉館付近では道路部分が完成して、車も通行していた。
ただ、側道や中央分離帯はまだ手付かずだったので、適当なところで横断することができた。
地域の県立進学高も川の側から山の中に移転していた。
私はこのバイパスをいいかげんなところで横断して高校に通っていた。
今は絶対に渡ることができない場所を、のんびり横断していたのである。
高速道路を使ってやってくる観光客目当てに、広い道路端で西瓜を並べて売ったりしていた。
中古のパチンコ台なんかも並べてあった。
学生時代、短期間だが測量のアルバイトをしたことがある。
早稲田鶴巻町あたりの、つまり下宿の近所の区画整理が現場のはずだったのだが、足立区の方へも連れていかれた。
がらんとした殺風景な土地を環状七号線が通っている。
同じ道路なのに、高円寺あたりの風景と比べると本当に殺伐としていた。
故郷の建設中バイパスに似ているなと思った。
幻泉館近くの「バイパス」は今では、この道端でスイカを売っていたと言っても信じてもらえないほど、郊外型の大規模店舗が軒を並べている。
家電・パソコン、CD・楽器、ファミレス、ジーンズ・礼服、カラオケ、書籍 etc...
高校生の時、つまりまだ道端でスイカを売っていたころに、そのレコード屋さんは他に先駆けて郊外型の大規模店舗を造ったのである。
当然のことだが、そのレコード屋さんにはよく通った。
(ずいぶん長い前置きでしたな。もうそんなに書けない。)
ここで、とにかくレコードを一枚一枚見ていたのだ。
それも、日本盤は高いので、妙に安い輸入盤をじっくりと見た。
輸入盤なら千円ぐらいからあったので、毎月買うことができた。
ただ、シュリンク包装してあるので、試聴することができない。
流行モノの新譜はさすがにちょっと高い。
まるで知らない名前のポップシンガー、カントリー&ウェスタン、ジャズ、こんなところを怪しげな英語力で解読して、勘を頼りに買うのである。
値段を考えると、結局はジャズが無難だということがわかった。
マイルス・デイビスのレコードはこうやって買ったものが多い。
50年代の名盤である。
ウェイン・ショーターが参加したような新しいものは、まだ高かったのだ。
日本の歌謡曲がニューミュージックと呼ばれるようになると、かつてフォークと呼ばれた音楽は輝きを失った。
僕はジャズのレコードばかり買うようになり、早く東京に出たいなと思った。
スイングジャーナル社が創刊した雑誌「アドリブ」の創刊号はマイルス・デイビスの完全ディスコグラフィーが売り物で、まだジャズ雑誌と言っても良かった。
"CIRCLE"では前衛的ジャズという印象だったチック・コリアがRETURN TO FOREVERというグループを結成して、同名のアルバムを発表した。
例の1972年である。
とにかくNHKの番組のバックにはよく流れていた。
「永遠回帰」とはまた妙な名前を付けたものだ。
「リターン・トゥ・フォーエヴァー」の第一アルバムは『かもめのジョナサン』とイメージが重なるのだが、それも故なしではない。
導師グルがいて弟子がいる、あのオウム真理教の好んだ戯画をどちらも描いているのだっから。
70年代初頭に、このチック・コリアがECMというレーベルから出したアルバムで時代を席巻するのでありますが、同時期にキース・ジャレットもECMからアルバムを発表しました。
『フェイシング・ユー』(1971年)
『ソロ・コンサート』(1973年)
これがすごかったんですね。
ただ、高かった。
3枚組みではとても買えないんです。
ところが、1975年、さらに『ソロ・コンサート』をもっとずっと聴きやすくしたような2枚組みアルバムが出ました。
かなり早い時期に安い輸入盤を見つけて、買いました。
これがあの『ケルン・コンサート』(1975年)。
聴きやすいどころじゃない、あちこちでやたらに流れる、超有名アルバムになってしまいました。
なんだかフォーク・ロックみたいなフレーズが繰り返されたり、あの冒頭のアレ、FMの番組のテーマになったりしましたね。
そうだ、『ケルン・コンサート』は井の頭のアパートで聴いていたのだ。
2003-11-01 00:00
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コメント(7)
トラックバック(0)
TITLE: ??4F??L?
SECRET: 0
PASS:
Re:キース・ジャレット『ケルン・コンサーモアんばんわ
ケルンコンサートは
この県の図書館にもあります。
うちの県も東京から120km北にむかったところです。
餃子が有名といえば、想像がつきますか?
元々北海道の出身ですが。
以前が外人のかたがキースジャレットともぐもぐいいながらを探していたので、
おもわずこのcdをハイってわたしてあげました。
いや。べつにそれをさがしていたかは知りませんが。
しげしげとそれを眺めてましたね。
って、相当怪しいですね。私。
ではまた
by pglove (2003-11-01 00:10)
TITLE: Re:??4F??L?
SECRET: 0
PASS:
pgloveさん、こんばんは♪
せっかく書き込んでいただいたのに、見事に文字化けしちゃいましたね。
うるとびーずさんの掲示板でも文字化けしているようなので、pgloveさんのPCと楽天広場のシステムが相性が悪いのでしょうか。
もしかして、PCはマックだったりします?
by 幻泉館 主人 (2003-11-01 00:38)
TITLE: Re:Re:??4F??L?
SECRET: 0
PASS:
幻泉館 主人さん
>もしかして、PCはマックだったりします?
by pglove (2003-11-01 07:33)
TITLE: Re:キース・ジャレット
SECRET: 0
PASS:
横からすみません。
僕もマックユーザーですが、文字化けしていないでしょ?
これは去年さんざん試行錯誤して?編み出した「タイトル短縮法」を実行しているからです。
まあ、ようするに「長いタイトルはカキコミストが自分で短くする」という単純なモノですが。
これだけで解決するので、マックな皆さんはぜひやってみてください。
by 穴沢ジョージ (2003-11-01 10:56)
TITLE: Re:Re:キース・ジャレット
SECRET: 0
PASS:
pgloveさん、穴沢ジョージさん、おはようございます♪
なるほど、あらかじめボックス内に表示されている文字が化けるのですね。
ビデオメモリの問題か。
もしかして、短くしなくても一旦自分でいじれば化けないのかも。
実験できないので、短くした方が無難ですね。
ところで北関東の町の名前は想像できるのですが、餃子で有名は存じませんでした。
by 幻泉館 主人 (2003-11-01 11:39)
TITLE: Re:キース・ジャレット『ケルン・コンサート』(11/1)
SECRET: 0
PASS:
この曲はジャズの力を最大限にもっていると思います。
福生の図書館で終了時必ずかかる曲です。
「フェイスイング・ユー」これも懐かしいアルバムです。
by ジョンリーフッカー (2003-11-01 21:12)
TITLE: Re:Re:キース・ジャレット『ケルン・コンサート』(11/1)
SECRET: 0
PASS:
ジョンリーフッカーさん、こんばんは♪
>福生の図書館で終了時必ずかかる曲です。
冒頭を流すんでしょうね。
図書館を閉める時にかけるのは、なかなかかっこいいと思います。
by 幻泉館 主人 (2003-11-01 23:53)